上官婉兒の詩
高祖皇帝李淵が唐を建国して、おおよそ100年、皇帝一族の政変に巻き込まれ、作者上官婉兒は世を去った。
この上官宛兒は才女で宮妓としても名高い。彼女の20歳前後から世を去った40歳の時代は、宮廷は激動の時代であった。則天武后の皇帝即位、病死、クーデター、と目まぐるしく政変があり、後宮の女官、官妓として巻き込まれ、殺されてしまったのもしかたがないのかもしれない。
中国の歴史の中でこの時期、女性が政治にくちばしを入れるという不思議な時代でもあった。則天武后、韋皇后、安楽公主、太平公主などと数多く表舞台に出た。則天武后は政治の天才であり、有能者と無能者の見極めがはっきりしていた。大胆で、適切な人材登用で、唐の国力を高めたことは歴史的な高い評価のあるところである。
女帝は文学の上でそれまでの型にはまった門閥の宮廷文学を新しい文学にして行った。初唐四傑の排出は則天武后の力によるところが大きい。そして、ここに上官宛兒を見るのである。彼女も則天武后によるところのものである。一流の貴族、一流の士族による宮廷の詩文の宴は二流以下のものの出席、女性である上官宛兒も列につらなうことができたのである。
しかし武則天が老境に入り、病床にあることで権威は衰え、705年(神龍元年)、宰相張柬之に退位をさせられ、息子の中宗が再び帝位に就き、唐を復活、周は1代15年で滅亡した。
しかし今度は、中宗の皇后韋氏が第2の武則天になろうと中宗を毒殺した。韋后はその後即位した殤帝を傀儡とし、いずれ禅譲させようとしていたが、これに反対して中宗の甥李隆基と武則天の娘太平公主がクーデターを起こした。敗れた韋后は族殺され、武則天により退位させられ皇位を離れていた李隆基の父・睿宗が再び帝位につき、李隆基はこの功により地位を皇太子に進められた。その後、今度は李隆基と太平公主による争いが起こる。7世紀後半から8世紀前半に後宮を中心に頻発した政乱は、これを主導した2人の皇后の姓を取って「武韋の禍」と呼ばれている。
712年(先天元年)、李隆基は睿宗から譲位され、即位して玄宗皇帝となった。翌年、太平公主を殺し、完全に権力を掌握した。
則天武后の元気な690年代初旬の詩です。武后は上官宛兒に命じて作られたものですが、内容としては、上官婉兒が則天武后に対して、暗に諷したものとなっています。裏の意を探っていくには前提があり、上官婉兒は、祖父・父と二代続いて、則天武后のために殺されている。上官宛兒は唐朝を支配したその則天武后に、美貌と才能とで近づき、則天武后に大いに認められ、女官ながら枢要の地位を占めた女性だったのです。
才女らしい詩です。
奉和聖製立春日侍宴内殿出翦綵花應制 上官婉兒
密葉因裁吐,新花逐翦舒。
攀條雖不謬,摘蕊渠知虚。
春至由來發,秋還未肯疏。
借問桃將李,相亂欲何如。
新年の祝賀の宴に侍り、奥御殿で造花を作り、命に応じて御製に和し奉る。
繁った葉は裁断されても、また葉を茂らせ。
新たに咲く花は、切られても、順次また、のびひろがる
枝に攀(よじのぼ)ることは、間違いではないものの。
花を摘(つ)みとるのは、むなしいこととどうして悟ろうか。
(草花は)春がくれば、もともと出てくるもので。
秋になっても、なかなか葉は疎(まば)らにはならない。
少しお訊ねするが、モモ(桃)はスモモ(李)を助けるものだが。モモ(桃)とスモモ(李)に、少しお訊ねするが。
乱れ合っているのは、どうしてなのか。
奉和聖製立春日侍宴内殿出翦綵花應制
新年の祝賀の宴に侍り、奥御殿で造花を作り、命に応じて御製に和し奉る。
〇奉和:(天子に)詩を和し奉る。 〇聖製 天子の作った詩歌。御製(ぎょせい)。 〇立春日 暦の上で春にはいる日。新春。陽暦で、二月三、四日。 〇侍宴 うたげにはべる。 〇内殿 奥向きの御殿。 〇翦 〔せん〕(はさみで)きってそろえる。(はさみで)そろえてきる。きりそろえる。また、ころす。 〇綵花 造花。つくりばな。また、色どり豊かな花。 〇應制 (詩を天子の命に)応(こた)えて作る。
密葉因裁吐
繁った葉は裁断されても、また葉を茂らせ。
(祖父や父が)殺されても、(上官家)の血はまた開き。”
〇密葉 生え繁った葉。 〇因- (…に)よって。(…の)ため。(…に)起因して。 〇裁 〔さい〕(衣服を仕立てるために布を)たつ。裁ち切る。きりはなす。 〇吐:ひらく。
新花逐翦舒
新たに咲く花は、切られても、順次また、のびひろがる。
”新た(に上官家の者)は、切られても、順次また、のびひろがっている。”
〇新花:新たに咲く花。詩題には「綵花」と、つくりばなのことをいうがこの聯の葉や花の様子は、自然界の本物のさまを詠う。 〇逐 〔ちく〕追いかけて。順を追って。 〇舒 〔じゅ〕のばす。のべる。(ゆっくり)のばす。のばしひろげる。のびひろがる。
攀條雖不謬
枝に攀(よじのぼ)ることは、間違いではないものの。
”権力にとりすがることは、間違いではないものの。”
〇攀條 枝に攀(よじのぼ)る。枝にすがる。「攀」には、権力にとりすがる意もある。 〇雖 …ではあるが。(…と)いえども。 〇謬 〔びう〕誤る。間違う。違(たが)う。
摘蕊
渠知虚:
花を摘(つ)みとるのは、むなしいこととどうして悟ろうか。
”(上官の血)を摘(つ)みとるのは、むなしいこととどうして悟ろうか。”
〇摘蕊 花を摘(つ)む。 〇摘 〔てき〕つむ。つまみとる。 〇蕊 〔ずゐ〕しべ。はな。つぼみ。ここのように、「花」字を平仄上使えない場合は「蕊」等とする。 〇? 〔きょ〕なんぞ。あに。なんすれぞ。いづくんぞ。反語。 〇?知 どうして分かろうか。 〇虚 〔きょ〕むなしい。から。中身がない。
春至由來發
(草花は)春がくれば、もともと出てくるもので。
”時期がくれば、もともと開(ひら)くもので。 〇春至:春がくる。春になる。”
〇由來 もともと。元来。 〇發 咲く。ひらく。
秋還未肯疏
秋になっても、なかなか葉は疎(まば)らにはならない。
不利な状況になっても、(上官家の血筋は)なかなかめげることはないのだ。
〇秋還 秋がもどってくる。秋になる。 〇未肯 まだあえては…ない。 〇疏 〔そ 〕まばら(である)。
借問桃將李
少しお訊ねするが、モモ(桃)はスモモ(李)を助けるものだが。モモ(桃)とスモモ(李)に、少しお訊ねするが。 ”少しお訊ねするが、桃家(武則天一族)は、李家(唐の王家)を助けるものだが。”
〇借問 〔しゃもん 〕たずねる。ちょっと質問する。試みに問う。 〇桃 モモ。この「桃」が武則天を指せば意味が通じるのだが…。武照の「照」と「桃」?或いは、「李」字を導くために「桃」字を出したのか。 〇將 助ける。養う。承ける。また、…と。 〇李 スモモ。唐朝は李家。唐王朝の姓。則天武后は、李家の唐朝に挑戦した。
相亂欲何如
乱れ合っているのは、どうしてなのか。
〇相亂:乱れてきて。乱れ合う。 〇欲:…たい。…う。ほっす。…す。 〇何如 いかん。どのようであるか。方法、状態、是非を問う。
奉和聖製立春日侍宴内殿出翦綵花應制 上官婉兒
密葉因裁吐,新花逐翦舒。
攀條雖不謬,摘蕊渠知虚。
春至由來發,秋還未肯疏。
借問桃將李,相亂欲何如。
聖製に奉和す 立春の日に宴に侍し内殿より綵花を翦りて出す 應制
密葉みつよう裁たつに因よって 吐ひらき,
新花翦きるに逐おいて舒のぶ
條えだに攀よづるは謬あやまたずと雖いへども,
蕊ずいを摘むは渠なんぞ虚なるを知らん。
春 至れば由來 發し,
秋 還かえれど未だ肯あえて疏そならず。
借問しゃもんす桃は李を將たすくるも,
相あひ亂るるは何如いかにかせんと欲ほっす。