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金
(きん1115年 - 1234年)は、金朝(きんちょう)ともいい、中国北半分を支配した女真族の王朝。
国姓は完顔氏。遼・北宋を滅ぼし、西夏を服属させ、中国南半の南宋と対峙したが、モンゴル帝国(元)に滅ぼされた。都は初め会寧(上京会寧府、現在の黒竜江省)、のち燕京(中都大興府、現在の北京)。
金は北宋を滅ぼしたが、中国への急速な拡大は金の軍事的な限界点をあきらかにした。太宗は過度の負担を避けるため、華北に漢人による傀儡国家を樹立させて宋の残存勢力との間の緩衝体にしようとした。太宗ははじめ宋の宰相であった張邦昌を皇帝に据え、国号を楚とさせた。しかし張邦昌は金軍が引き上げるとすぐに退位を宣言し、欽宗の弟の趙構(高宗)を皇帝位につける運動に加わった。
その後、趙構らは南に逃れ、南方の北宋残存勢力を糾合して南宋を立てた。金はこれに対する懲罰を名目として再度の南征を開始し、淮河の線まで南下して岳飛らが率いる義勇軍と戦った。
金と南宋双方での和平派と戦争継続派の勢力後退の末、1142年に両国の間で最初の和約が結ばれた(紹興の和議)。この和約は宋は金に対して臣下の礼をとり、歳幣を毎年支払うことを定めるなど、金にとって圧倒的に優位な内容であったが、中国の二分化を元による統一まで継続することとなる。
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元好問 |
1190〜1257 |
太原秀容の出身。字は裕之、号は遺山。幼時より詩文に長じ、金に仕えて元には応じず、金史編纂のために自ら各地で資料を収集し、後の『金史』編纂で多く利用された。 |
岐陽 |
■元 1271〜1368年
元(げん)は、1271年から1368年まで中国とモンゴル高原を中心とした領域を支配し、その後は北へ逃れ、遊牧政権としては最終的には1635年まで存続したモンゴル人王朝であり、モンゴル帝国の皇帝直轄世襲領である。元朝(げんちょう)とも言う。正式の国号は大元(だいげん)。
中国王朝としての元は、北宋崩壊(1127年)以来の中国統一政権であり、元の北走後は明(1368年 - 1644年)が中国統治を引き継ぐ。ただし、後述するように、元は制度や政治運営の特徴において、モンゴル帝国に受け継がれた遊牧国家特有の性格が強く、用語上でモンゴル帝国が伝統的な中国王朝の類型に変化したものであるというような誤解を避けるために、遊牧民の国を指すウルスという語を用いて特に大元ウルスと呼ぶべきであるとする意見もある。
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馬致遠 |
生没年未詳。 |
元初の劇作家。大都(北京)の人。号、東籬(とうり)。元曲四大家の一人。王昭君を主題とした雑劇「漢宮秋」で有名。ほかに散曲を集めた「東籬楽府(がふ)」がある。 |
〔越調〕天淨沙 秋思 |
元好問げんこうもん6811190年〜1257年
張炎ちょうえん"1248" - ?
馬致遠"ばちえん"685 生没年未詳。
耶律楚材やりつそざい1190年1244年
?經かくけい1223年1275年
汪元量おうげんりょう1241年1317年
王昭儀おうしょうぎ
劉因りゅういん
楊維驍謔、いてい1296年1370年
倪?げいさん1301年1374年
顧瑛こえい1310年1369年
趙孟?ちょうもうふ1254年1322年
袁?えんかく1266年1327年
虞集ぐしゅう1272年1348年
掲?斯けつけいし1249年1333年
范?はんほう1272年1330年
楊載ようさい1271年1323年
柳貫りゅうかん1270年1342年
■明 1368〜1664年
明(みん) 1368年 - 1644年 明朝ともいい、中国の歴代王朝の一つ。大明と号した。朱元璋が元を北へ逐って建国し、滅亡の後には清が明の再建を目指す南明政権を制圧して中国を支配した。元に対し、白蓮教徒が1351年に紅巾の乱を起こすと反乱は瞬く間に広がった。紅巾軍の一方の将領であった貧農出身の朱元璋(太祖・洪武帝)は南京を根拠に長江流域の統一に成功し、1368年に明を建国した。万里の長城以南の中国は明に統一される。江南から誕生した王朝が中国を統一したのは明が初めて、唯一である。
明 |
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太祖・朱元璋(しゅげんしょう) |
1328-1398/1368 - 1398 |
朱元璋(、天暦元年9月18日(1328年10月21日) -洪武31年閏5月10日(1398年6月24日)、在位:1368年 -1398年)は、中国の明朝の創始者であり、初代皇帝である。廟号は太祖(たいそ)。諡号は開天行道肇紀立極大聖至神仁文義武俊コ成功高皇帝。その治世の年号を取って、洪武帝(こうぶてい)と呼ばれる。また、生まれた頃の名は、朱重八(しゅじゅうはち)といい、後に朱興宗(しゅこうそう)と改名し、紅巾軍に参加する頃にさらに朱元璋と改名し、字を国瑞(こくずい)とした。 |
無題 |
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高啓 (こうけい) |
1336- 1374 |
明初の詩人。幼少より神童と呼ばれ、「書は読まざるなし」といわれたほどの博学で知られた。約2,000首の詩を作ったといわれている。一時、太祖に仕えていたが辞し、蘇州郊外の青邱に戻り在野の詩人として活躍した。しかし、太祖を諷刺した詩や、友人で蘇州知事でもあった魏観のために書いた文章が禍して腰斬の刑に処せられた。 |
尋胡隱君 |
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于謙 (うけん) |
1398- 1457 |
進士出身の明の政治家。土木の変で明の皇帝英宗がオイラト部のエセンに捕らえられると、英宗の弟の景泰帝を擁立し、北京に迫ったエセンの軍を撃退した。 |
石灰吟 |
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方孝孺 (ほうこうじゅ) |
1357- 1402 |
明初の儒学者。才能豊かで建文帝から重用された。その恩を忘れず、次代の永楽帝の怒りを買って処刑された。 |
閑居感懷 |
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文嘉 (ぶんか) |
1501- 1583 |
明の書家、画家、文人。明代四大家のひとりである文徴明の次男であり、山水画を得意とした。石刻は明代の第一といわれ、また書画や器物の鑑定家としても活躍した。 |
明日歌 |
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王陽明 (おうようめい) |
1472- 1529
明の儒学者、思想家。 |
朱子学を批判的に継承し、学問のみで理に到達することはできないとし、仕事や日常生活の中での実践を通して心に理を求める「実践儒学陽明学」を起こした。 |
睡起偶成 |
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海瑞 (かいずい) |
1514- 1587 |
明の官僚。時の嘉靖帝に対して激しい直諫を行って投獄された。清廉潔白な官僚として評価されている。 |
廣州西樵山蒼頡祠 |
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劉基 (りゅうき) |
1311- 1375 |
元末〜明初の政治家、詩人、軍師。朱元璋に仕えて明を建国する際に大きな功績を上げ、その後の明を安定させることに尽力した。また、宋濂と並んで文筆家としても名を馳せ、その著書として『郁離子』十巻、『覆?集』二十四巻、『写情集』四巻、『犁眉公集』五巻を後世に残す。 |
絶句 臨江仙 |
楊維驕@
季迪
李志光
楊基 (孟載)
張羽 (來儀)
徐賁 (幼文)
袁凱 (景文)
清・近現代 1644〜
■清 1636〜1912年
漢文委員会では特に唐・宋時代を中心に詩詠句を見ていきます。できるだけ、階級論争に触れないことを前提に詩人の背景、思想、等、従来の考え方と対比して行こうと思います。したがって、元以降の歴史的記述は少ないことをご容赦願います。
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呉偉業(ごいぎょう) |
1609- 1671 |
明末〜清初の詩人。その詩は、初唐の華麗な作風に倣って才気にあふれ、亡国の悲劇を経験してからは作風に悲壮美を加えるようになった。動乱を詠んだ哀切なる史詩が多い。銭謙益、鼎孳とともに「江左の三大家」と称される。 |
遇南廂園叟感賦八十韻 |
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顧炎武(こえんぶ) |
1613- 1682 |
明末〜清初の儒学者。明の滅亡に際して反清運動に参加した。旧来の観念論的な性理学や心学を批判し、同時代の資料を重視する実証的な経書研究法を樹立。考証学の開祖ともいわれている。 |
海上 |
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和?(かしん) |
1613- 1682 |
明末〜清初の儒学者。清の政治家。乾隆帝、嘉慶帝の二帝に仕えた。軍機大臣として専横の限りを尽くし、莫大な財産を残したことでも知られている。 |
絶命詩 |
704 |
洪秀全(こうしゅうぜん) |
1814- 1864 |
清の宗教家、革命家。キリスト教を基にした宗教教団「拝上帝会」を興し、天王を自称。南京を首都として清に反旗を翻し、国号を太平天国とした(太平天国の乱)。 |
吟劍詩 |
705 |
譚嗣同(たんしどう) |
1865- 1898 |
清末の改革主義者、民族主義者、哲学者。戊戌変法に参加したが、戊戌政変に遭遇して捕らえられ、33歳の若さで刑死した。 |
夜泊 |
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張之洞(ちょうしどう) |
1837- 1909 |
清末の政治家。洋務派官僚として重要な役割を果たした。曽国藩、李鴻章、左宗棠と並び「四大名臣」とも称される。近年になって改めて評価され、2006年には張之洞記念館が設立された。 |
四月下旬過崇效寺訪牡丹花已殘損 |
707 |
黄遵憲(こうじゅんけん) |
1848- 1905 |
清末の詩人、外交官、政治改革者。知日家であり、清末を代表する詩人としても知られる。 |
贈梁任父同年 |
708 |
孫文(そんぶん) |
1866- 1925 |
清末〜民初の政治家、革命家。初代中華民国臨時大総統。辛亥革命を起こした「中国革命の父」として知られる。 |
無題(半壁東南三楚雄) |
709 |
梁啓超(りょうけいちょう) |
1873- 1929 |
清末〜民初の政治家、ジャーナリスト、歴史学者。戊戌の変法に失敗、日本に亡命したが、辛亥革命後に帰国し政界活動を再開した。 |
讀陸放翁集 |
710 |
秋瑾(しゅうきん) |
1875- 1907 |
清末の女性革命家、詩人。18歳のときに結婚したが、義和団運動に発憤して家庭を捨てて、日本に留学し、反清革命運動に身を投じた。1905年、日本政府が出した「清国留学生取締規則」に憤激し、留学を打ち切って帰国。その後も革命運動を続けたが処刑された。 |
對酒 |
711 |
魯迅(ろじん) |
1881- 1936 |
民国の小説家、翻訳家、思想家。代表作に『阿Q正伝』、『狂人日記』など。日本に留学して医学を志したが、後に文学に転じた。 |
自嘲 |
712 |
老舎(ろうしゃ) |
1899- 1966 |
民国〜中華人民共和国の小説家、劇作家。北京の町と人々をこよなく愛し、「北京之花」「人民芸術家」「語言大師」と称された。代表作に小説『駱駝祥子』『四世同堂』、戯曲『龍鬚溝』『茶館』などがある。 |
琵琶湖遠望 |
713 |
毛沢東(もうたくとう) |
1893- 1976 |
中華人民共和国の政治家、軍人、思想家。中国共産党の創立党員であり、中華人民共和国の建国の父とされている。 |
蝶戀花 答李淑一 |