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楚辞


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楚辭:戦国時代、南方の楚に興った詩の一形式である『辞』の集成されたもの。『楚辭』とは「楚」の「辞」。=「楚國」の「辞集」の意で、以降は詩集名となった。漢代に盛んになる『賦』とともに併称され「辞賦」といわれるものの代表である。

3.屈原
 屈原 紀元前343年-紀元前277年 戦国時代に楚の懐王に仕えて、内政、外交に手腕を発揮した。
楚、斉は秦の脅威にさらされていたので、屈原は楚、斉が同盟して秦に対抗する策を推進した。他方、秦の保護下に入って安全を図る連衡を主張する勢力も強く、国論は二分していました。
 このとき、秦は楚を孤立させ、屈原を追放させ、楚斉同盟を破棄させ、はては、楚は滅亡することになる。
 懐王は屈原を再起用して態勢挽回を図るが、秦は懐柔策に出、懐王を呼び寄せ、屈原を再び追放される。屈原は、滅び行く祖国の前途を見るに忍びず、泪羅(ベキラ)の淵に入水自殺することになる。
 屈原は優れた政治家であったばかりでなく、大詩人でもありました。「楚辞」と呼ばれる詩は彼の創始によるもので、後世の詩に絶大な影響を与えた。
 屈原の詩の代表作は「離騒」「九歌」「天問」「九章」がある。

漁父辞
 本文  下し文
漁父辞
屈原既放
游於江潭
行吟澤畔
顔色憔悴
形容枯槁
漁父見而問之
子非三閭太夫與
何故至於斯
屈原曰
與世皆濁
我独清
衆人皆酔
我独醒
是以見放
漁父辞
遂去不復與言 屈原 既に放たれて、
江潭にあそび、
ゆくゆく沢畔に吟ず。
顔色 憔悴し
形容 枯槁せり
漁父見て 之に問うて曰く、
子は三閭太夫にあらずや、
何の故にここに至れる。
屈原曰く
挙世 皆濁り、
我、独り清めり。
衆人、皆酔い
我、独り醒めたり
是(ここ)をもって放たれり。
漁父曰
聖人不凝滞於物
而能與世推移
世人皆濁
何不乱其泥
而揚其波
衆人皆酔
何啜其汁
何故深思高挙
自令放為
漁父曰く
聖人は物に凝滞せずして
よく世と推移す。
世人 皆濁らば
世人 其の泥をみだして
其の波を揚げざる。
衆人 皆酔わば、
何ぞ其の汁を啜(すす)らざる
何の故に深思高挙して、
自ら放たれしむるを為すや。
屈原曰
吾聞之
新沐者必弾冠
新浴者必振衣
安能以身之察察
受物之紋紋者乎
寧赴湘流
葬於江魚之腹中
安能以晧晧之白
而蒙世俗之塵埃乎
漁父莞爾而笑
鼓竡ァ去
乃歌曰
滄浪之水清兮
可以濯吾纓
滄浪之水濁兮
可以濯吾足
遂去不復與言
屈原曰く
吾、之を聞く
新たに沐する者は必ず冠を弾き
新たに浴する者は必ず衣を振う と
いずくんぞ能く身の察察たるをもって、
物の紋紋たる者をうけんや。
寧ろ湘流に赴いて
江魚の腹中に葬らるるも、
いずくんぞよく晧晧の白きを以って
世俗の塵埃を蒙らんや
漁父 莞爾として笑い
えいを鼓して去る
乃ち歌って曰く
滄浪の水 清まば、
以って吾が纓(冠の紐)をあらうべし
滄浪の水 濁れば、
以って吾が足をあらうべし
遂に去ってまたともに言わず
 意味
 屈原は放逐されて江や淵をさまよい、詩を口ずさみつつ河岸を歩いていた。顔色はやつれはて、見る影もなく痩せ衰えている。一人の漁夫が彼を見付け、尋ねた。

「あなたは三閭太夫さまではございませぬか。どうしてまたこのような処にいらっしゃるのですか?」

 屈原は言った。

「世の中はすべて濁っている中で、私独りが澄んでいる。人々すべて酔っている中で、私独りが醒めている。それゆえ追放されたのだ」

 漁夫は言った。

「聖人は物事に拘らず、世と共に移り変わると申します。世人がすべて濁っているならば、なぜご自分も一緒に泥をかき乱し、波をたてようとなされませぬ。人々がみな酔っているなら、なぜご自分もその酒かすをくらい、糟汁までも啜ろうとなされませぬ。なんでまたそのように深刻に思い悩み、高尚に振舞って、自ら追放を招くようなことをなさったのです」

 屈原は言った。

「ことわざにいう、『髪を洗ったばかりの者は、必ず冠の塵を払ってから被り、湯浴みしたばかりの者は、必ず衣服をふるってから着るものだ』と。どうしてこの清らかな身に、汚らわしきものを受けられよう。いっそこの湘水の流れに身を投げて、魚の餌食となろうとも、どうして純白の身を世俗の塵にまみれさせよう」

 漁夫はにっこりと笑い、櫂を操って歌いながら漕ぎ去った。

「滄浪の水が澄んだのなら、冠の紐を洗うがよい、滄浪の水が濁ったのならば、自分の泥足を洗うがよい」

 そのまま姿を消して、彼らは再び語り合うことがなかった。

5.宋玉
招魂
招魂
朱明承夜兮,時不可以淹。
皐蘭被徑兮,斯路漸。
湛湛江水兮,上有楓,目極千里兮,傷春心。
魂兮歸來哀江南
太陽(の明るさが)夜をうけついで、時間は、とどめることができない。
水辺のランは、小径(みち)をおおっていて、この道は水につかっている。
水を深くたたえた川の水の、非常に遠いところまで、見渡せば春の物思いの心をいためさせる。
魂よ、帰ってこい。江南は哀しい。
「魂兮歸來」
 戦いを進める中、行軍中、休憩中、歌われた。したがって、この「魂よ帰ってこい」詩の結論だから強調のため繰り返してうたわれる。

『招魂』では、(上)帝が巫陽に命じて、巫陽が魂を招くために言うことばとして「魂兮歸來」と、計十回以上繰り返して言っている。また、「歸來兮」も六回ほど繰り返して言っている。祈祷の呪文でもある。
        招魂


 朱明承夜兮,

 時不可以淹。

 皐蘭被徑兮,

 斯路漸。

 湛湛江水兮,

 上有楓,

 目極千里兮,

 傷春心。

 魂兮歸來哀江南。
        招魂

 

朱明  夜を 承けて,

時は 以て 淹とどむ 可からず。

皐蘭こうらん 徑を被おおいて,

の路 漸ひたる。

湛湛たんたんたる 江水よ,

上に楓有り,

目は千里を 極きわめて,

春心を 傷いたましむ。

魂よ歸り來れ  江南哀かなし!

禮魂     『楚辭』九歌



東君     『楚辭』九歌
東君
暾將出兮東方,
照吾檻兮扶桑。
撫余馬兮安驅,
夜皎皎兮既明。
駕龍?兮乘雷,
載雲旗兮委蛇。
長太息兮將上,
心低?兮顧懷。
羌聲色兮?人,
觀者憺兮忘歸。」

暾【とん】として將に東方に出でんとし、吾が檻【かん】を扶桑【ふ
そう】に照らす。
餘が馬を撫して安驅すれば、夜は??【こうこう】として既に明らかな
り。
龍?【りょうちゅう】に駕して雷に乘り、雲旗を載【た】てて委蛇たり。
長太息して將に上らんとすれど、心は低?して顧【かへり】み懷
ふ。
羌【ああ】聲色の人を?ましむる、觀る者憺として歸るを忘る。」

?瑟兮交鼓,簫鍾兮瑤?,鳴?兮吹?,思靈保兮賢?。
?飛兮翠曾,展詩兮會舞。
應律兮合節,靈之來兮蔽日。」
瑟を?【こう】し鼓を交へ、鍾を簫【う】ち?【きょ】を瑤す。
?【ち】鳴らし?を吹き、靈保の賢?【けんか】なるを思ふ。
?飛【けんぴ】して翠曾し、詩を展【の】べて會舞す。
律に應じて節に合すれば、靈の來ること日を蔽ふ。」
青雲衣兮白霓裳、舉長矢兮射天狼。
操餘弧兮反淪降、援北斗兮酌桂漿。
撰餘轡兮高駝翔、杳冥冥兮以東行。
青雲の衣白霓の裳、長矢を舉げて天狼を射る。
餘が弧を操【と】りて反って淪降【りんこう】し、北斗を援【と】りて桂漿【けいしゅう】を酌【く】む。
餘が轡を撰【も】ちて高く駝翔【ちしゃう】し、杳として冥冥として以て東に行く。


東君
暾將出兮東方,照吾檻兮扶桑。
撫余馬兮安驅,夜皎皎兮既明。
駕龍?兮乘雷,載雲旗兮委蛇。
長太息兮將上,心低?兮顧懷。
羌聲色兮?人,觀者憺兮忘歸。」
朝日は赤々として東の空に出ようとし、扶桑にある我が宮殿の欄干を照らしはじめている。
わたしの馬を撫でてやり、静かにさせて駆けだすと、夜は白々と明けて、もう明るく輝いている。
竜に車を引かせて雷雲に乗り、雲の旗をひらめかせて、ゆらゆらとたなびいている。
わたしは大きな長いため息をついて、いよいよ一気に天に上ろうとすると、心は去りがたく後ろのほうを振り返る。
ああ、歌声や美しい巫女の私をなぐさめる、見るものは皆心安らかに帰るのを忘れる。
?瑟兮交鼓,簫鍾兮瑤?,鳴?兮吹?,思靈保兮賢?。
?飛兮翠曾,展詩兮會舞。
應律兮合節,靈之來兮蔽日。」
張りつめた瑟の糸を締め、鼓をかわるがわるに打ち交わし、鍾をうち、?(きょ)を瑤るがせる。
横笛を鳴らして、縦笛を吹けいている、そして巫女の徳すぐれてかしこく見た目が美しいことを思うのである。
巫女たちは飛びまわり、カワセミのように飛び上がる、そして詩を歌いながら舞いまわっている。
音律におうじて調子を合わせているうちに、神々がやってきて、日を蔽うように天から降りあつまる。

青雲衣兮白霓裳,舉長矢兮射天狼。
操余弧兮反淪降,援北斗兮酌桂漿。
撰余轡兮高駝翔,杳冥冥兮以東行。」
太陽のわたしは青雲の上衣に白霓の裳をつける、太陽光線の長矢を以て天狼星を射る。
私はそれを操って弓を持って下方へむかって降りてきて、北斗星の柄杓をとって肉桂の漿を酌むのである。
そしてわが手綱を振り上げて高く駆け上って、はるかな暗黒の中をわたしは東へと行くのである。

暾【とん】として將に東方に出でんとし、吾が檻【かん】を扶桑【ふそう】に照らす。
餘が馬を撫して安驅すれば、夜は??【こうこう】として既に明らかなり。
龍?【りょうちゅう】に駕して雷に乘り、雲旗を載【た】てて委蛇たり。
長太息して將に上らんとすれど、心は低?して顧【かへり】み懷ふ。
羌【ああ】聲色の人を?ましむる、觀る者憺として歸るを忘る。」

瑟を?【こう】し鼓を交へ、鍾を簫【う】ち?【きょ】を瑤す。
?【ち】鳴らし?を吹き、靈保の賢?【けんか】なるを思ふ。
?飛【けんぴ】して翠曾し、詩を展【の】べて會舞す。
律に應じて節に合すれば、靈の來ること日を蔽ふ。」

餘が弧を操【と】りて反って淪降【りんこう】し、北斗を援【と】りて桂漿【けいしゅう】を酌【く】む。
餘が轡を撰【も】ちて高く駝翔【ちしゃう】し、杳として冥冥として以て東に行く。」


現代語訳と訳註
(本文)
『楚辞・九歌「東君」』屈原
暾將出兮東方、照吾檻兮扶桑。
撫餘馬兮安驅、夜??兮既明。
駕龍?兮乘雷、載雲旗兮委蛇。
長太息兮將上、心低?兮顧懷。
羌聲色兮?人、觀者憺兮忘歸。


(下し文)
暾【とん】として將に東方に出でんとし、吾が檻【かん】を扶桑【ふそう】に照らす。
餘が馬を撫して安驅すれば、夜は??【こうこう】として既に明らかなり。
龍?【りょうちゅう】に駕して雷に乘り、雲旗を載【た】てて委蛇たり。
長太息して將に上らんとすれど、心は低?して顧【かへり】み懷ふ。
羌【ああ】聲色の人を?ましむる、觀る者憺として歸るを忘る。


(現代語訳)
朝日は赤々として東の空に出ようとし、扶桑にある我が宮殿の欄干を照らしはじめている。
わたしの馬を撫でてやり、静かにさせて駆けだすと、夜は白々と明けて、もう明るく輝いている。
竜に車を引かせて雷雲に乗り、雲の旗をひらめかせて、ゆらゆらとたなびいている。
わたしは大きな長いため息をついて、いよいよ一気に天に上ろうとすると、心は去りがたく後ろのほうを振り返る。
ああ、歌声や美しい巫女の私をなぐさめる、見るものは皆心安らかに帰るのを忘れる。


(訳注)
『楚辞・九歌「東君」』屈原
楚辞(そじ)は中国戦国時代の楚地方に於いて謡われた詩の様式のこと。またはそれらを集めた詩集の名前である。全17巻。その代表として屈原の『離騒』が挙げられる。北方の『詩経』に対して南方の『楚辞』であり、共に後代の漢詩に流れていく源流の一つとされる。また賦の淵源とされ、合わせて辞賦と言われる。
九歌は一種の祭祀歌であると考えられる。湖南省あたりを中心にして、神につかえる心情を歌ったものとするのが、有力な説である。九歌と総称されるが、歌の数は十一ある。
「東君」は太陽の神を祭る歌であって、太陽神の自述の歌辞である。
補注の題下に「博雅に曰く、朱明・輝霊・東君は日なりと。漢書郊祀志に東君有り。」とある。辞中に太陽の神格表象を客観的に述べている所があり、楽劇詩の性質として、自己を客観的に述べるものはよくある。巫が太陽神の東君に扮して、その神威を自讃したものである。

暾將出兮東方、照吾檻兮扶桑。
朝日は赤々として東の空に出ようとし、扶桑にある我が宮殿の欄干を照らしはじめている。
・暾【トン】朝日の初めてさすあかりの形容。・檻 おはしま。欄干。・吾 東君の自称。・扶桑 東海の日の出る所にあるという神木。日本の別名とされる。『山海経』海外東経に「湯谷の上に扶桑有り。」と。『説文』に「樽桑は神木、日の出づる所なり。」とある。

撫餘馬兮安驅、夜??兮既明。
わたしの馬を撫でてやり、静かにさせて駆けだすと、夜は白々と明けて、もう明るく輝いている。
・安 しずかに。・余 東君の自称。・?? 白くあかるいさま。

駕龍?兮乘雷、載雲旗兮委蛇。
竜に車を引かせて雷雲に乗り、雲の旗をひらめかせて、ゆらゆらとたなびいている。
・竜? 竜に引かせる空を飛ぶ船のような車。?は車の轅(ながえ)、馬をつける所。・駕 車をひかせる。・乘雷 雷のようにとどろく車に乗る。輪の音の形容を雷というとともに、太陽が雲間を行く様子をもあわせて表現する。・載雲旗兮委蛇 たなびく雲間をすすむ日輪をいう。雲の旗を立てて、ゆらゆらとその旗をたなびかせている。委蛇は音読みでヰィ、またヰダ、ゆらゆらと動く形容とする。

長太息兮將上、心低?兮顧懷。
わたしは大きな長いため息をついて、いよいよ一気に天に上ろうとすると、心は去りがたく後ろのほうを振り返る。
・長大息 ためいきをつく。後句、聯の低?・顧懷とともに、太陽が上ろうとする前に、遅々としてためらっている様に見えるのをいう。また次聯の祭儀の盛んな様子にひかれて、長大息したともいえる。・低? 歩きまわって進まないこと。

羌聲色兮?人、觀者憺兮忘歸。
ああ、歌声や美しい巫女の私をなぐさめる、見るものは皆心安らかに帰るのを忘れる。
・羌 あぁ。感動助詞。・声色 祭祀に供する歌唱や巫女の色美しいことをさす。一に色声に作る。・娯人 人をたのしませる。この人は、日神自身のことをいう。・観者 この祭儀を観る者、衆人と神自身もふくめて。・倍 心安んじて。






『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#2>U




現代語訳と訳註
(本文)
?瑟兮交鼓、簫鍾兮瑤?。
鳴?兮吹?、思靈保兮賢?。
?飛兮翠曾、展詩兮會舞。
應律兮合節、靈之來兮蔽日。

(下し文)
瑟を?【こう】し鼓を交へ、鍾を簫【う】ち?【きょ】を瑤す。
?【ち】鳴らし?を吹き、靈保の賢?【けんか】なるを思ふ。
?飛【けんぴ】して翠曾し、詩を展【の】べて會舞す。
律に應じて節に合すれば、靈の來ること日を蔽ふ。


(現代語訳)
張りつめた瑟の糸を締め、鼓をかわるがわるに打ち交わし、鍾をうち、?(きょ)を瑤るがせる。
横笛を鳴らして、縦笛を吹けいている、そして巫女の徳すぐれてかしこく見た目が美しいことを思うのである。
巫女たちは飛びまわり、カワセミのように飛び上がる、そして詩を歌いながら舞いまわっている。
音律におうじて調子を合わせているうちに、神々がやってきて、日を蔽うように天から降りあつまる。


(訳注)
?瑟兮交鼓、簫鍾兮瑤?。
張りつめた瑟の糸を締め、鼓をかわるがわるに打ち交わし、鍾をうち、?(きょ)を瑤るがせる。
・?瑟 ?をはりつめた瑟(こと)。・交鼓 二個かわるがわるにあわせて打つ鼓。・簫 古くから撃つという動詞に読む。手偏が付いたテキストもある。・鐘 鐘に同じ。・瑤 瑤は玉で飾る。・? 鐘や磬を吊る台。

鳴?兮吹?、思靈保兮賢?。
横笛を鳴らして、縦笛を吹けいている、そして巫女の徳すぐれてかしこく見た目が美しいことを思うのである。
・? 音チ。ちのふえ。一尺四寸の横笛。竿と同様な竹で作った笛の類。・霊保 祭りに奉仕する巫女のこと。『詩経』に「神保是れ格る」「神保聿【ここ】に騰【あが】る」等の語がある。これはかたしろ、神霊の下るかたしろ。やはり巫のこと。・賢? 徳すぐれてみめうるわしいこと。?は美。

?飛兮翠曾、展詩兮會舞。
巫女たちは飛びまわり、カワセミのように飛び上がる、そして詩を歌いながら舞いまわっている。
・?飛 小さく飛び軽く揚がる。鳥の飛ぶように舞う。・翠曾 かわせみの鳥のように身軽に飛びあがる。曾は?(あがる)に同じ。巫女が身軽に舞うさま。・展詩 詩を叙べる。詩はここでは歌詞。・会舞 集まり舞う。

應律兮合節、靈之來兮蔽日。
音律におうじて調子を合わせているうちに、神々がやってきて、日を蔽うように天から降りあつまる。
・節 調子・拍子。節度。・靈之來兮蔽日 霊は日神東君が、自分に従って来る衆神をいう。日を蔽うはむらがる形容。





『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#3>

東君
暾將出兮東方,照吾檻兮扶桑。
撫余馬兮安驅,夜皎皎兮既明。
駕龍?兮乘雷,載雲旗兮委蛇。
長太息兮將上,心低?兮顧懷。
羌聲色兮?人,觀者憺兮忘歸。」
朝日は赤々として東の空に出ようとし、扶桑にある我が宮殿の欄干を照らしはじめている。
わたしの馬を撫でてやり、静かにさせて駆けだすと、夜は白々と明けて、もう明るく輝いている。
竜に車を引かせて雷雲に乗り、雲の旗をひらめかせて、ゆらゆらとたなびいている。
わたしは大きな長いため息をついて、いよいよ一気に天に上ろうとすると、心は去りがたく後ろのほうを振り返る。
ああ、歌声や美しい巫女の私をなぐさめる、見るものは皆心安らかに帰るのを忘れる。
?瑟兮交鼓,簫鍾兮瑤?,鳴?兮吹?,思靈保兮賢?。
?飛兮翠曾,展詩兮會舞。
應律兮合節,靈之來兮蔽日。」
張りつめた瑟の糸を締め、鼓をかわるがわるに打ち交わし、鍾をうち、?(きょ)を瑤るがせる。
横笛を鳴らして、縦笛を吹けいている、そして巫女の徳すぐれてかしこく見た目が美しいことを思うのである。
巫女たちは飛びまわり、カワセミのように飛び上がる、そして詩を歌いながら舞いまわっている。
音律におうじて調子を合わせているうちに、神々がやってきて、日を蔽うように天から降りあつまる。

青雲衣兮白霓裳,舉長矢兮射天狼。
操余弧兮反淪降,援北斗兮酌桂漿。
撰余轡兮高駝翔,杳冥冥兮以東行。」
太陽のわたしは青雲の上衣に白霓の裳をつける、太陽光線の長矢を以て天狼星を射る。
私はそれを操って弓を持って下方へむかって降りてきて、北斗星の柄杓をとって肉桂の漿を酌むのである。
そしてわが手綱を振り上げて高く駆け上って、はるかな暗黒の中をわたしは東へと行くのである。

暾【とん】として將に東方に出でんとし、吾が檻【かん】を扶桑【ふそう】に照らす。
餘が馬を撫して安驅すれば、夜は??【こうこう】として既に明らかなり。
龍?【りょうちゅう】に駕して雷に乘り、雲旗を載【た】てて委蛇たり。
長太息して將に上らんとすれど、心は低?して顧【かへり】み懷ふ。
羌【ああ】聲色の人を?ましむる、觀る者憺として歸るを忘る。」

瑟を?【こう】し鼓を交へ、鍾を簫【う】ち?【きょ】を瑤す。
?【ち】鳴らし?を吹き、靈保の賢?【けんか】なるを思ふ。
?飛【けんぴ】して翠曾し、詩を展【の】べて會舞す。
律に應じて節に合すれば、靈の來ること日を蔽ふ。」

餘が弧を操【と】りて反って淪降【りんこう】し、北斗を援【と】りて桂漿【けいしゅう】を酌【く】む。
餘が轡を撰【も】ちて高く駝翔【ちしゃう】し、杳として冥冥として以て東に行く。」



現代語訳と訳註
(本文)
青雲衣兮白霓裳、舉長矢兮射天狼。
操餘弧兮反淪降、援北斗兮酌桂漿。
撰餘轡兮高駝翔、杳冥冥兮以東行。


(下し文)
青雲の衣白霓の裳、長矢を舉げて天狼を射る。
餘が弧を操【と】りて反って淪降【りんこう】し、北斗を援【と】りて桂漿【けいしゅう】を酌【く】む。
餘が轡を撰【も】ちて高く駝翔【ちしゃう】し、杳として冥冥として以て東に行く。


(現代語訳)
太陽のわたしは青雲の上衣に白霓の裳をつける、太陽光線の長矢を以て天狼星を射る。
私はそれを操って弓を持って下方へむかって降りてきて、北斗星の柄杓をとって肉桂の漿を酌むのである。
そしてわが手綱を振り上げて高く駆け上って、はるかな暗黒の中をわたしは東へと行くのである。


(訳注)
青雲衣兮白霓裳、舉長矢兮射天狼。
太陽のわたしは青雲の上衣に白霓の裳をつける、太陽光線の長矢を以て天狼星を射る。
・青雲衣兮白霓裳 高天にある青い雲の上衣をまとい、白い虹のはかまをつけることで、太陽神の象徴でそのいでたちのことである。・天狼 星の名。東井の星の南にあって、侵椋をつかさどる。秦の分野に当たる。冬によく見える星である。これを射る長欠は、太陽の光線を見たてた。

操餘弧兮反淪降、援北斗兮酌桂漿。
私はそれを操って弓を持って下方へむかって降りてきて、北斗星の柄杓をとって肉桂の漿を酌むのである。
・弧 弓。弧矢も星の名。補注に「説文に日く、木弓なりと。晋志に、弧の九星は狼の東南に在り。天弓なり。盗賊に備ふるを主ると。」と。・反淪降 返り立ちもどって、下界に降りる。倫降はしずみくだる。日没のこと。・北斗 北斗七星。ひしゃくの形をしているので、祭りの酒を酌む器として、日神はこれを取る。既に夕空の星が出ていることをいう。・桂漿 肉柱入りの薄い酒。菜はこんずのこと。

撰餘轡兮高駝翔、杳冥冥兮以東行。
そしてわが手綱を振り上げて高く駆け上って、はるかな暗黒の中をわたしは東へと行くのである。
・撰 持ち上げる。・轡 たづな。・配 馳に同じ。はせる。・杳冥冥今以東行 太陽が日没後、遠い暗黒の空を東に行くこと。古代にはそのように考えられていた。



 この篇は、昇り行く朝日としての東君が、自分を祭る地上の祭儀に心ひかれて去り難く思う。その祭儀の盛観に、日神は遂に高い空から降りてくる。太陽神は天狼星を射て、天空を征服し、赫赫とした神威を輝かし、北斗を取って供えられた桂策を酌んで、この祭りを享ける。やがて暗黒の空の中を東へ去るという。

これらはすべて太陽神東君が、自分の行動を叙べているのであって、篇首にある朝日の光が東君の檻(欄干)を照らすという句は、日の出の景とはいえ、日神と太陽とが分離した形になっている。日神に扮した巫が、日の出を歌ったもので、吾檻の吾は、王逸以来、日神の自称と解しているのがよい。ここは図らずも、客観としての太陽と主観たる日神東君との、自己叙述上における分裂錯乱を露皇した。主客混同の表現と見るべきであろう。