歸風送遠操

涼風起兮天隕霜。
懷君子兮渺難望。
感予心兮多慨慷。

帰風送遠操【きふうそうえんそう】
涼風【りょうふう】起【おこ】って、天は霜を隕【おと】す。
君子を懐【おも】えども、渺【びょう】として望み難し。
予【わ】が心を感ぜしめ、慨慷【がいこう】多し。



















趙飛燕


歸風送遠操 趙飛燕 女流


趙 飛燕
(ちょう ひえん、? - 紀元前1年)は前漢成帝の皇后。元名を宜主と称した。
正史である『漢書』での趙飛燕に関する記述は非常に簡単なものであるが、稗史においては美貌を以って記述されており、優れた容姿を表現する環肥燕?の燕痩が示すのが趙飛燕である(環とは楊貴妃の事、幼名・玉環による)。

その出生は卑賤であり、幼少時に長安にたどり着き、号を「飛燕」とし歌舞の研鑽を積み、その美貌が成帝の目にとまり妹「合徳」と一緒に後宮に迎えられた。後宮では成帝の寵愛を受け、更に妹の趙合徳を昭儀として寵愛を受けている。成帝は趙飛燕を皇后とすることを計画する。太后の強い反対を受けるが前18年12月に許皇后を廃立し、前16年に遂に立皇后が実現した。 

前7年、成帝が崩御すると事態が一変する。成帝が急死したことよりその死因を趙姉妹に嫌疑がかけられ、妹の趙合徳が自殺に追い込まれた。趙飛燕には、自ら子がなかったため哀帝の即位を支持、これにより哀帝が即位すると皇太后としての地位が与えられた。しかし6年後、前1年に哀帝が崩御し平帝が即位すると支持基盤を失った趙飛燕は、王莽により宗室を乱したと断罪され皇太后から孝成皇后へ降格が行われ、更に庶人に落とされ間もなく自殺した。

姉は「細腰」、妹はぽっちゃりと対照的な姉妹だったが、姉は皇后に妹は昭儀にそれぞれ立てられた。
趙姉妹は交代で皇帝の寵愛を受けたのである。





細腰
楚の霊王が細い腰を好んだという。
・『漢書・馬寥傳』「呉王好劍客,百姓多瘡瘢。楚王好細腰,宮中多餓死。」
・『荀子・君道』「楚莊王好細腰,故朝有餓人。」
・『韓非子』「越王好勇,而民多輕死。楚靈王好細腰,而國中多餓人。」「楚の霊王は細腰を好み、国中餓する人多し」。

李商隠『燕臺詩四首 其四 』
當時歡向掌中銷,桃葉桃根雙?妹。
≪あの頃の歓びというものは王の趣向に迎合して、この掌中で消えていくか細さを求め餓死者さえ出たのだ。あまたの王、富貴が姉妹を妾家として迎えた、あの王獻之の妾家に「桃葉復た桃葉、桃樹は桃根に連なる」といって桃葉・桃根姉妹と同時に歓びを求めた。≫
○歡向 漢・成帝の寵愛を受けた趙飛燕は体が軽く、「掌上に舞う」ことができたという(『自民六帖』など)。また梁の羊侃の妓女張浄?は腰周りがわずか一尺六寸(四十cm弱)、「掌中の舞い」ができたという(『梁書』羊侃伝)。○桃葉桃根 桃葉は東晋・王献之の愛人。「桃葉歌二首」其二「桃葉復た桃葉、桃樹は桃根に連なる。相憐れむは兩楽事なるに、獨我をして慇懃ならしむ」(『王台新詠』巻十)。そこから後人が桃菓・桃根を姉妹とする附会の説が生まれたと漏浩はいう。『土花漠漠として頽垣を囲み、中にあり桃葉桃根の魂、夜深く踏むことあまねし階下の月、憐れなり羅襪の終に痕なきを。』
「楚王細腰を好み朝に餓人有り」
お上の好む所に下の者が迎合するたとえで、そのために弊害が生じやすいこと。春秋時代に、楚王が腰の細い美女を好んだので、迎合する官僚、宮女たちは痩せようとして食事をとらなくなり、餓死する者が多く出たという話から。「楚王細腰を好みて宮中餓死多し」ともいう。なお、楚王については、荘王とする説と霊王とする説がある。
燕臺詩四首 其四 冬#2 李商隠135 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 134-#2

趙飛燕 作 
歸風送遠操

涼風起兮天隕霜。
懷君子兮渺難望。
感予心兮多慨慷。

帰風送遠操【きふうそうえんそう】
涼風【りょうふう】起【おこ】って、天は霜を隕【おと】す。
君子を懐【おも】えども、渺【びょう】として望み難し。
予【わ】が心を感ぜしめ、慨慷【がいこう】多し。


現代語訳と訳註
(本文)
涼風起兮天隕霜。
懷君子兮渺難望。
感予心兮多慨慷。

(下し文)
涼風【りょうふう】起【おこ】って、天は霜を隕【おと】す。
君子を懐【おも】えども、渺【びょう】として望み難し。
予【わ】が心を感ぜしめ、慨慷【がいこう】多し。

(現代語訳)
涼風は秋風を起し吹きさらしてくると、天は純白の霜を降らせる季節に変わる。
我が夫(今は亡き哀帝)のことを思いうかべるけれども、遠く隔たっても望むこともできはしない。
私の心にあるのは悲しいことだけであり、それはいたずらに嘆くだけなのだ。


(訳注)
歸風送遠操
西京雜記(第五巻)に「趙皇后には宝琴があって、よくこの歌をなした。」とあり、この詩はそこにはなく、古詩紀「二巻」にある。紀元前1年に哀帝が崩御し平帝が即位して後、王莽の策謀により皇后、平民に貶められるまでの間の作であろう。

涼風起兮天隕霜。
涼風は秋風を起し吹きさらしてくると、天は純白の霜を降らせる季節に変わる。(王莽の陰湿な策謀でだれも見向きもしなくなる様子をいう)
涼風 立秋の頃の涼しい風のこと。この時の風が突風ではないが、それが秋風を起す。そして悲愁を起す。
 おちる おとす空から地上に落ちる。「隕石」

懷君子兮渺難望。
我が夫(今は亡き哀帝)のことを思いうかべるけれども、遠く隔たっても望むこともできはしない。
 水面などが限りなく広がっているさま。はるかにかすんでいるさま。

感予心兮多慨慷。
私の心にあるのは悲しいことだけであり、それはいたずらに嘆くだけなのだ。
慨慷 慷慨:1 世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆くこと。2 意気が盛んなこと。また、そのさま。


漢の成帝の寵妃であった班?、が寵を失い長信宮に移ってからのやるせない思いを王昌齢が詩にしたもの
王昌齢
怨歌行(秋扇賦)
芙蓉不及美人粧、水殿風来珠翠香。
却恨含情掩秋扇、空懸明月待君主。
芙蓉も及ばず 美人の粧い
水殿 風来って 珠翠香ばし
却って怨む 情を含んで秋扇を掩い
空しく明月を懸けて 君王の待ちしを
芙蓉の美しさも、美人の粧いに及ばない。
水殿に風が吹いて来て、珠翠が香しい。
却って恨む、情を含んで秋扇を掩い。
空しく名月を懸けて、君主の寵愛が戻るを待っている。





李白 一枝紅艶凝香
宮中行樂詞八首 其二
柳色?金嫩、梨花白雪香。
玉樓?翡翠、珠殿鎖鴛鴦。
選妓隨雕輦、?歌出洞房。
宮中誰第一、飛燕在昭陽。
宮中行楽詞 其の二
柳色(りゅうしょく)  黄金にして嫩(やわら)か、梨花(りか)  白雪(はくせつ)にして香(かんば)し。
玉楼(ぎょくろう)には翡翠(ひすい)巣くい、珠殿(しゅでん)には鴛鴦(えんおう)を鎖(とざ)す。
妓(ぎ)を選んで雕輦(ちょうれん)に随わしめ、歌を徴(め)して洞房(どうぼう)を出(い)でしむ。
宮中(きゅうちゅう)  誰か第一なる、飛燕(ひえん)  昭陽(しょうよう)に在り。
宮中行樂詞八首 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白143
清平調詞 三首 其二
一枝紅艷露凝香、云雨巫山枉斷腸。
借問漢宮誰得似、可憐飛燕倚新妝。
其の二
一枝の紅艶 露香を凝らす、雲雨 巫山 枉しく断腸。
借問す 漢宮 誰か似るを得たる、可憐なり 飛燕 新妝に倚る。
清平調詞 三首 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白161