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杜甫・王維・李白の生きた時代:関連年賦

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杜詩研究

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王維の詩

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  ・ 王維詩 
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◎ 李白杜甫を詠う






子を 責む
白髮  兩鬢を 被ひ,
肌膚  復(ま)た 實ならず。
五男兒  有ると 雖(いへど)も,
總(すべ)て  紙筆を 好まず。
阿舒は  已(すで)に 二八(十六),
懶惰  故(もと)より  匹(たぐ)ひ 無し。
阿宣は  行(ゆくゆ)く 志學なるに,
而して 文術を 好まず。
雍・端は  年 十三にして,
六と七とを  識(し)らず。
通子は  九齡に 垂(なんな)んとするに,
但(た)だ  梨と 栗とを 覓(もと)む。
天運  苟(いやし)くも 此(か)くの如くあれば,
且(しば)し  杯中の物を 進めん。

田園詩人
 陶淵明の詩


51.責子 陶淵明


 這えば立て、立てば歩めの親心 とはいうものの陶淵明の詩で一風変わった詩があります。自分の子をほめて育てるか、悪いところを指摘して育てるか。

51.責子

白髮被兩鬢,肌膚不復實。


雖有五男兒,總不好紙筆。


阿舒已二八,懶惰故無匹。


阿宣行志學,而不好文術。


雍端年十三,不識六與七。


通子垂九齡,但覓梨與栗。


天運苟如此,且進杯中物。



 白髪が左右の耳にかぶさるようになり、いまさら肌がみずみずしくなることはありはしない。
男の子が五人いるが、そろいもそろって勉強嫌いだ。
長男の舒は16歳にもなるが怠け者のようだ。
二男の宣はまもなく15さいになろうとしているが、本が大嫌い。
三番目四番目の雍と端はどちらも13歳だが6と7の区別がつかない。
五男の通はもうすぐ9歳になるが梨や栗をねだるばかり。
ああ、これも天が与えた試練ならば仕方あるまい。






陶潛:陶淵明。東晉の詩人

責子:息子をせめる。息子たちのだらしないさまや修養を怠っていることをせめる。 ・子:息子。男子。
白髮被兩鬢:・白髮:しらがが左右両横の髪を覆い被さるような(年齢になり)。 ・白髮:しらが。 ・被:覆い被さる。こうむる。 ・兩鬢:左右両横の耳際の髪の毛。
肌膚不復實:皮膚も、もうしっかりしたようではない。 ・肌膚:はだ。はだえ。皮膚。きふ。 ・不復:もう…でない。二度とは…ない。 ・實:みのり。充実。内容。
雖有五男兒:五人の息子たちがいるとはいっても。 ・雖有:いるとはいっても。あるものの。 ・五男兒:五人の男の子。五人の息子。
總不好紙筆:すべて、勉強を好まない。 ・總:総じて。すべて。 ・不好:好まない。嫌う。ここの「好」は動詞で去声。 ・紙筆:紙と筆。筆紙。ここでは、勉強、学習の意になる。
阿舒已二八:舒ちゃんは、もうすでに十六歳になっているのに。 ・阿舒:舒ちゃん。「阿-」は名や呼称の頭に附ける接頭辞。長男になる。 ・已:すでに。 ・二八:十六歳。2×8=16。掛け算の積で表す。例えば、「二八女郎」といえば「十六歳の乙女」の意。
懶惰故無匹:だらしがないことは、もとより、類(たぐい)がない。 ・懶惰:だらしがない。なまける。怠惰である。 ・故:もとより。もとから。≒「固」。もと。むかし。 ・無匹:類(たぐい)がない。
阿宣行志學:宣ちゃんは、まもなく十五歳になろうとしているが。(現在はまだ十四歳である)。 ・阿宣:宣ちゃん。 ・行:ゆくゆく。まもなく。 ・志學:十五歳を謂う。『論語・爲政』「子曰:『吾十有五而志於學。三十而立。四十而不惑;。五十而知天命。六十而耳順。七十而從心所欲,不踰矩。』」に基づく。
而不好文術:(宣ちゃんは、まもなく十五歳になろうとしている)が、国語の学問は嫌いだ。 ・而:…が。ここでは逆接になる。 ・文術:文章表記。国語技術。
雍端年十三:雍と端の(二人の)年齢は、十三歳になるが。 ・雍端:雍と端の二人の名。どちらも十三歳ということは、双子になる。 ・年十三:十三歳。
不識六與七:6と7との数量の差異が、(算数の知識が無くて)分からない。 ・不識:知らない。分からない。知識が無くて分からない。 ・六與七:6と7との数量の差異。 ・與:…と。「A與B」のように名詞に夾まれた場合は、「AとB」のように、並べ立てる「…と…」の意になる。
通子垂九齡:通くんは、もうすぐ九歳になろうとしている(のに)。(現在はまだ八歳である。) ・通子:通くん。 ・-子:名の後に附ける接尾辞。 ・垂:なんなんとしている。もうすぐに…になろうとしている。 ・九齡:九歳。
但覓梨與栗:ただナシとクリを求めるだけである。幼くて食べ物にしか関心がないということ。 ・但:ただ…だけ。 ・覓:もとめる。 ・梨與栗:ナシとクリ。
天運苟如此:天の下した運命が、いやしくも、このような状態ならば。 ・天運:天の下した運命。天命。 ・苟:いやしくも。かりそめにも。 ・如此:このような。
且進杯中物:しばらくは、酒でも飲んでいよう。 ・且:しばし。しばらくは。 ・進:飲んでいる。飲んでいく。自分で飲み進める。 ・杯中物:酒をいう。

後世、李白は『對酒憶賀監』「四明有狂客,風流賀季真。長安一相見,呼我謫仙人。昔好杯中物,今爲松下塵。金龜換酒處,卻憶涙沾巾。」、や 白居易は『三月三十日作』「今朝三月盡,寂寞春事畢。黄鳥漸無聲,朱櫻新結實。臨風猶長歎,此歎意非一。半百過九年,艷陽殘一日。隨年減歡笑,逐日添衰疾。且遣花下歌,送此杯中物。」 と使う。




陶淵明の子については、五人になり、『文選』の昭明太子による『陶淵明集』の詩の部分が終わった後、集の最後の部分「、祭文」の項で、『自祭文』とともに並んでいる、『與子儼等』では、「告儼俟佚。天地賦命。生必有死。自古賢聖。誰能獨免。」と彼の子の名が出ている。これらとこの詩に出てくる幼名とを比べると、『與子儼等』では「儼俟佚」で、『責子』では「舒宣雍端通」になる。双方を合わせていくと、「舒⇒儼」「宣⇒俟」「雍⇒」「端⇒「佚」「通⇒」となる。



この時、陶淵明は44歳。あらゆる職を擲って田園に隠棲し、「帰去来」の詩一篇を詠んでから3年程が経っている。「帰去来」の中で僮僕喜び迎えと云った時、その中にはこの5人の子の姿もあったに違いない。

舒とは、長男儼の幼名。阿は親しみをあらわす接頭辞である。既に馬歯16歳にもなるというのに、「懶惰故より匹ひ無し」と淵明は嘆いている。「命子」の中では「子が不才なれば致し方ない」といっていたが、どうやら懶惰な少年になったようだ。

次男の宣は、そろそろ15になり、学問に志さねばならぬ時期なのに、文術を好まない。

雍と端は、13歳にもなって、まだ6と7の区別もつかない。同い年なのは、双子か或は腹違いの兄弟かどちらかだろう。

末っ子の通は、もうすぐ9歳だが、梨と栗をねだるばかり。

陶淵明の表現には、思うようにならないことへの誇張があるのかもしれないが、それにしても、子どもたちの出来損ないぶりは笑えない。

期待の外れた父親陶淵明は、これも天運とあきらめ、酒でも飲んで、気を休めようと、ため息をついたのであろう。

この詩を作った数年後、50歳を過ぎた頃に、陶淵明は子どもたちにあてて戒めの文を作っている。題して「與子儼等疏」という。はや老年を迎えた陶淵明は、子どもたちが心配な余り、生きるうえでの教訓のようなものを残しておきたかったのかもしれない。


―與子儼等疏

  告子儼、俟、分、佚、冬:
  天地賦命,生必有死,自古聖賢,誰能獨免、
  子夏有言:「死生有命,富貴在天」。四友之人,親受音旨。
  發斯談者,將非窮達不可妄求,禎夭永無外請故耶。
  吾年過五十,少而窮苦,毎以家弊,東西遊走,性剛才拙,與物多忤。
  自量為己,必貽俗患,便俛辭世,使汝等幼而飢寒,余嘗感孺仲子賢妻又言,
  敗絮自擁,何慚兒子。此既一事矣。
  但恨鄰無二仲,室来婦,抱此苦心,良獨内愧。
  少學琴書,偶愛韋ホ,開卷有得,便欣然忘食。
  見樹木交蔭,時鳥變聲,亦復歡然有喜。
  常言五六月中,北窗下臥,遇涼風暫至,自謂是羲皇上人,
  意淺識罕,謂斯言可保,日月遂往,機巧好疏,緬求在昔,眇然如何。
  病患以來,漸就衰損,親舊不遺,毎以藥石見救,自恐大分將有限也。
  汝輩稚小,家貧無役,柴水之勞,何時可免。
  念之在心,若何可言。然汝等雖不同生,當思四海皆兄弟之義。
  鮑叔、管仲,分財無猜;歸生、伍舉,班荊道舊;遂能以敗為成,因喪立功。
  他人尚爾,況同父之人哉。穎川韓元長,漢末名士,身處卿佐,八十而終,
  兄弟同居,至於沒齒。濟北稚春,晉時操行人也,七世同財,家人無怨色。

  《詩》曰:「高山仰止,景行行止」。
  雖不能爾,至心尚之。汝其慎哉!吾復何言。


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