漢詩総合サイト




杜甫 李白を詠う
・贈李白[五言律排]
・贈李白[七言絶句]
・送孔単父謝病歸游江東,兼呈李白
・遣懐 
・冬日有懐李白 
・春日憶李白 
・飲中八仙歌 
・夢李白二首 
・天末懷李白 
・昔游 
李白杜甫を詠う
行路難 三首  李白
魯郡東石門送杜二甫
沙邱城下寄杜甫
 

漢詩総合サイト

漢詩ジオシティーズ倶楽部

漢文委員会 fc2支部












































沙邱城下 杜甫に寄す
我(われ)来(きた)る 竟(つい)に何事ぞ
高臥(こうが)す沙邱城(さきゅうじょう)
城辺(じょうへん)古樹有り
日夕(にっせき)秋声(しゅうせい)を連(つら)ぬ
魯酒(ろしゅ)酔う可からず
斉歌(せいか)空しく情を復(かさ)ぬ
君を思うこと?水(ぶんすい)の若(ごと)く
浩蕩(こうとう)として南征に寄(よ)す











沙邱城下寄杜甫 

我来竟何事、高臥沙邱城。    
城辺有古樹、日夕連秋声。    
魯酒不可酔、斉歌空復情。    
思君若?水、浩蕩寄南征。

トップ >杜甫と関連詩>李白杜甫を詠う>行路難>魯郡東石門送杜二甫

魯郡東石門送杜二甫  


6、李白と杜甫の別れ
 李白と杜甫の交友が始まって、何日も何日も二人は酒を酌み交わす日々が続いたが、二人の生活は一年足らずで終わることとなる。ある時、杜甫が仕官のため魯郡を離れて都に出たいと打ち明け時、李白はその無念さを酒で紛らわした詩「石門にて杜二甫を送る」がある。

魯郡東石門送杜二甫

酔別復幾日、登臨徇池台。

何言石門路、重有金樽開。


冒頭「酔別幾日ぞ」とは、よほど名残り惜しかったことだろう。続いて
秋波落泗水 海色明徂徠 飛蓬各自遠 且尽林中盃  と詠んでいる。
その後間もなく、李白は飄然として江東の方へ出掛けてしまい、杜甫も洛陽へ還った。李白は杜甫に大変な親しみを持っていたし、杜甫も李白を敬愛し続けていたのに、どういう心境か、それぞれ別な道を進むこととなってしまった。この時別れた二人は、遂に、生涯再び巡り会えることはなかった。何故ふたりはわかれたのか?
この時、杜甫に宛てた李白の「沙邱城下、杜甫に寄す」があり、これが李白が杜甫に贈った最後の別離の詩となった。杜甫は、生涯通じて李白を懐かしみ、その行方を案じ、たくさんの詩を残しているが、その中で「遣懐」は杜甫が洛陽を去って十年後に秦州で懐かしみ、外の鳥はそれぞれねぐらに帰ったのに独り遅れた「後棲鴉」(こうせいう)を自分の身と考え、離れた友を懐かしんで詠んだ詩があり、「春日李白を憶う」などで李白に対する思慕の念は後々まで続いた名詩である。


李白は杜甫を見送ると、秋から冬にかけて魯郡の南に知友を訪ね、金郷(山東省金郷県)や単父(ぜんふ)の街で過ごしています。このころ李白は南陵の鄭氏に預けていた長女平陽と長男伯禽(はくきん)を東魯に引き取ったのではないかと思われます。李白自身が南陵に出かけたようすはありませんので、人を頼んで連れてきてもらったのでしょう。長安を辞したあと東魯にとどまって南陵にもどってこない李白に、鄭氏があいそをつかしたのかもしれません。
 このころ李白には「魯の一婦人」とのあいだに次男頗黎(はれい)が生まれていますので、さすがの李白も江南の鄭氏までは手がまわりかねたのでしょう。天宝五載(746)の春、李白は病気になり、任城(にんじょう)の「魯の一婦人」のもとで秋まで療養をしていました。秋になって疾が癒えると、長安にいる杜甫に詩を送っています。このころ杜甫は都で官職を求めて活動をはじめていましたので、李白もじっとして居れない気持ちになっていたようです。


 沙邱城下寄杜甫

我来竟何事、高臥沙邱城。


城辺有古樹、日夕連秋声。


魯酒不可酔、斉歌空復情。


思君若汾水、浩蕩寄南征。



私がここへ来たのは何のためであったのか
沙邱の城でただ寝ているだけである
城壁のほとりに古い樹があり
朝から晩まで秋風に鳴っている
魯の酒は薄くて酔えず
斉の歌は心をゆるがすものがない
君を思えば汾水の流れのように
広々と心は溢れ 南への思いがつのる

沙邱城下 杜甫に寄す
我(われ)来(きた)る 竟(つい)に何事ぞ
高臥(こうが)す沙邱城(さきゅうじょう)
城辺(じょうへん)古樹有り
日夕(にっせき)秋声(しゅうせい)を連(つら)ぬ
魯酒(ろしゅ)酔う可からず
斉歌(せいか)空しく情を復(かさ)ぬ
君を思うこと?水(ぶんすい)の若(ごと)く
浩蕩(こうとう)として南征に寄(よ)す

 道士になってはみたものの、それですぐさま出世の機会がつかめるものでもなく、李白は空虚な気持になっていました。それを満たすのは旅しかありません。李白には春のころから「南征」(江南への遍歴)への思いがきざしていましたが、病気をしたためにそれが延び延びになっていたのです。