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 杜甫
  漂泊の詩


1084 清明二首   



1084 清明二首 128
清明節にあったことをのべる。大暦四年清明節、潭州(今の長沙)にあっての作。
 清明二首 (江陵を発つ)
大暦4年769年58歳
 白沙駅を出発すると湘水に入ります。潭州(湖南省長沙市)は湘水の河口に近い城市で、陰暦三月のはじめ、清明節に潭州に着きます。

1
朝來新火起新煙,湖色春光淨客船。繍羽銜花他自得,
紅顏騎竹我無縁。胡童結束還難有,楚女腰肢亦可憐。
不見定王城舊處,長懷賈傅井依然。虚沾焦舉為寒食,
實藉嚴君賣卜錢。鐘鼎山林各天性,濁醪麁飯任吾年。

2
此身飄泊苦西東,右臂偏枯半耳聾。寂寂系舟雙下?,
悠悠伏枕左書空。十年蹴?將雛遠,萬里秋千習俗同。
旅雁上雲歸紫塞,家人鑽火用青楓。秦城樓閣煙花裏,
漢主山河錦?中。風水春來洞庭闊,白蘋愁殺白頭翁。

 清明節は、新しく火を起こして食事をつくり、墓参りや野遊びをします。陽暦では四月五、六日にあたり、気候のよい季節になります。子供が竹馬に乗るのも踏青(野遊び)の一種です。杜甫は旅の途中で墓参りはできません。土地の異族の子供の民族衣装や楚女の細い腰が杜甫の目にとまり詠います。

杜甫253 清明二首其一(朝来新火起新煙)      

朝来新火起新煙、湖色春光浄客船。

繍羽銜花他自得、紅顔騎竹我無縁。

胡童結束還難有、楚女腰肢亦可憐。

不見定王城旧処、長懐賈傅井依然。

虚霑周挙為寒食、実藉君平売卜銭。

鐘鼎山林各天性、濁醪飯任吾年。


朝から火を起こし  新しい煙が流れる
水の色も春の光も  舟をめぐって清らかだ
美しい鳥が   花をくわえて得意げに飛び
子供らは竹馬に乗るが  私には縁がない
異族の子らの  細身の衣装もめずらしく
楚地の娘の   柳腰はかわいらしい
定王の城の旧址は  いまはないが
賈誼の井戸が残っているのは  なつかしい
周挙も楽しんだ寒食明けだが  ご馳走はない
厳君平の売卜百銭の得に  あやかりたいものである
鐘鼎の富貴  山林の隠棲  人それぞれだが
濁り酒に粗末な飯  歳月の過ぎるがままに任せている

清  明二首(清 明 二首)
朝来(ちょうらい) 新火(しんか)  新煙(しんえん)を起こす
湖色(こしょく)  春光(しゅんこう)  客船に浄(きよ)し
繍羽(しゅうう)  花を銜(ふく)みて他(か)れ自得(じとく)し
紅顔(こうがん)  竹に騎(の)る  我れ縁(えん)無し
胡童(こどう)の結束(けつそく) 還(ま)た有り難く
楚女(そじょ)の腰肢(ようし)   亦(ま)た憐む可し
見ず  定王城の旧処(きゅうしょ)
長く懐(おも)う  賈傅(かふ)の井(い)依然たるを
虚しく霑(うるお)う  周挙(しゅうきょ)が寒食を為(な)すに
実に藉(よ)る    君平(くんぺい)が売卜(ばいぼく)の銭
鐘鼎(しょうてい)  山林  各々(おのおの)天性
濁醪(だくろう)  ?飯(そはん)  吾(わ)が年(とし)に任せん


 後半六句のうち、はじめの二句は潭州にある史跡です。「定王城」は漢の長沙王呉発(定王)の城で、「不見」(見ず)というのは今はないという意味です。「賈傅の井」は長沙王の大傅になって潭州にきた賈誼(かぎ)の宅中の井戸のことで、これは残っていたようです。
 「周挙」(しゅうきょ)は後漢の并州(へいしゅう)刺史で、冬の寒食節を廃止したという言い伝えがあります。春の寒食節は周挙も楽しんだが、自分にはご馳走はないというのでしょう。「君平」は厳君平(げんくんぺい)のことで、占いをして銭を得ていました。末尾の四句は「清明節になったが、貧しい食事しかできない、富貴も隠棲も人の考え方次第だが、自分は濁り酒に粗末な飯でがまんをしている」とこれが詩人の生きる道というところでしょう。杜甫は嘆いたりしていません。詩人の矜持をしっかりと持って生きています・

杜甫255 清明二首其二(此身漂泊苦西東)    
 清明節の日の詩というのに、「右臂は偏枯し 半耳は聾す」と杜甫は体の不調を記録しています。そして、岸に繋いだ舟のなかで涙を流します。「悠悠たる伏枕 左書空し」は『詩経』関雎(かんしょ)の詩を踏まえており、輾転反側して悩み夜も眠れないほどであり、字も上手に書けないという意味でしょう。
 詩人、正岡子規もそうです。逆境に置かれた詩人ほどその苦しみの表現もすばらしいものです。

清明 二首其二

此身漂泊苦西東、右臂偏枯半耳聾。

寂寂繋舟双下涙、悠悠伏枕左書空。

十年蹴鞠将雛遠、万里鞦韆習俗同。

旅雁上雲帰紫塞、家人鑽火用青楓。

秦城楼閣烟花裏、漢主山河錦中。

春去春来洞庭闊、白蘋愁殺白頭翁。



身は異郷にさすらい  あちらこちらで苦しみ、右臂はひきつって   片耳は聞こえない
淋しい岸に舟を繋ぎ  涙は頬を流れ落ちる、転々と寝返りを打ち  なにも書けない
十年たてば    子供は蹴鞠で遊ばなくなり、いずこの地でも  鞦韆遊びに変わりはない
帰雁は高く飛んで  長城のかなたへ去り、妻は火を熾すのに  生木の楓をつかう
長安の楼閣は    花霞のなかに消え、蜀漢の山河は    綾錦の織り目のようだ
春は去り春が来て  洞庭の湖(うみ)はひろく、浮草の花の白さに  白頭翁は打ちのめされる

我が身は或は西、或は東と諷泊しているがこまったものだ、右の腎はかたほうきかなくなり片方の耳(左耳)はつんばになっている。さびしく舟をつなぎとめては両眼から涙をながし、いつまでも病の枕に伏しては世をなげくあまり左の手で空中に文字をかく(殿浩の如く)。鞠を蹴ってあそぶこどもらを遠くひきいあるくことは十年ばかりになる。万里のそらでもこの日鍬樋をすることはみやことおなじことである。旅する雁は雲のうえへあがって長城の方へかえる。家のものは火をきりかえるにはこれまでとかわって青楓を用いるのである。(おもうにいまごろは)長安の城の楼閣は煙花のうちにあるであろう。吾が君の御統治あそばされる山河は錦繍のうつくしさのうちにあるであろう。こちらでは洞庭湖のひろい湖面の春の水に春がおとずれて、日赤の草がこの白頭の老人を甚だしく愁えさせるのである。

○清明 冬至後の百五・六・七の三日を寒食節とし火食を禁ずる。その節が明ければ清明節である。おおよそ陽暦の四月中旬にあたる。○偏枯 かた方がきかなくなる。○半耳聾 大暦二年冬の作である「復夕陰ル」(本書にはとらぬ)に「牙歯半バハ落チテ左耳ハ聾ス」とある。○双下 左右の両眼よりくだす。○左書空 晋の殿浩の故事、殿浩が官を免ぜられ、終日左手で空中に咄咄怪事の四字を害したこと。〇十年 作者の入局後本年までで十二年である、前に一紀ともいっている、今は成数を以て十年といった。○蹴踊 女児の春の手あそびをいう、宗懐の歳時記に寒食には打毯、鍬躍、施鈎等の遊戯が行なわれるといっている、打毯はすなわち蹴鞠である。○将雛 ひなをひきいる、古楽府に「鳳将雛曲」がある、こどもたちをひきつれること。○鍬嘩 ぶらんこ。○習俗同 ならわしがおなじである、同とは長安と同じであることをいう。○紫塞 長城をいう、秦が長城を築いたときその土は皆紫色であった、よって紫塞という。○鎮火用青楓 頒火は木の棒を板の孔にきりもみして火を出すこと、その木は北方ならば春は檎・柳を用いる、今南方では青葉の楓を用いるのである。○秦城 長安の城をいう。○漢主 膚の天子をいう。〇日頻 白いよもぎ、水草である、大辞ともいう、五月に白色の花を開く、清明にはまだひらかぬ、ここはただ南方の有名な花を用いたにすぎぬ、思うに梁の柳怪の「汀州二白頻ヲ宋ル、日ハ落ツ江南ノ春」などを連想したものであろう。○白頭翁 自己をいう。

此の身(み)漂泊して西東(せいとう)に苦しみ
右臂(うひ)は偏枯(へんこ)し  半耳(はんじ)は聾(ろう)す
寂寂(せきせき)たる繋舟(けいしゅう)  双(なら)び下る涙
悠悠(ゆうゆう)たる伏枕(ふくちん) 左書(さしょ)空(むな)し
十年  蹴鞠(しゅうきく)  将雛(しょうすう)遠く
万里  鞦韆(しゅうせん)  習俗(しゅうぞく)同じ
旅雁(りょがん)  雲に上り紫塞(しさい)に帰り
家人(かじん)   火を鑽(き)るに青楓(せいふう)を用う
秦城(しんじょう)の楼閣は烟花(えんか)の裏(うち)
漢主(かんしゅ)の山河は錦?(きんしゅう)の中(なか)
春去り春来たり 洞庭(どうてい)闊(ひろ)く
白蘋(はくひん)  愁殺(しゅうさつ)す白頭(はくとう)の翁を




 「蹴鞠」(けまり)や「鞦韆」(ぶらんこ)は踏青(とうせい)の代表的な遊びですが、十年たてば子供も大きくなって蹴鞠で遊ばなくなり、鞦韆の遊びは何処に行っても変わらないと、歳月の過ぎ去ったことや、異郷へのさすらい人の悲哀をそれとなく描いています。

 春になって雁は長城の北の故郷に帰ってしまい、春を装うもの春を呼んでいる。妻は清明節のために新しい火を熾そうとしますが、生木の楓(ふう)をもちいるので煙にむせています。漂泊者の淋しい風景が鮮明な映像となって浮かび上がってきます。
 蜀に流亡してからすでに十年がたち、洞庭湖の湖畔にあって季節は変わりなく移っていきます。長安の都も蜀の山河も、いまは遠いものになっているけれど、きちんと記憶の中に残っている。杜甫はそうしたことを思いながら、「浮き草が春にな元気に白い花を咲かせることに、白髪頭は打ちのめされた」と、漂泊の人生をリアルに描くのです。人々が楽しむ清明節は、花に元気をもらったと結びます。
 杜甫は美しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、苦しいこと、辛いこと、嘆くこと・・・・・・見たもの、聞いたもの、感じたもの、心にあるもの・・・・・それらを率直に、深く捉え表現しているのです。
 だから、物乞いをしたり、媚びたり、自分に負けたりしていません。
 「清明二首」は、杜甫の苦悩が生々しく描かれ、その中で強く生きていることを感じさせる佳作になっています。