杜甫の詩 三吏三別 |
(潼関の吏)
官軍は相州(?城)を囲んで敗れ、その後、らくよもおちる。そのたため、潼関を修理して安氏軍の攻撃から防ごうとした。作者はたまたまその防禦築城の場所を通りかかり、役人と問答してこの詩を作った。
759年乾元2年春48歳
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潼関吏 #1
潼関駅の吏を見る
士卒何草草、築城潼関道。」
ここの潼関の駅ではどうしてあのように忙しく兵卒が塞城をきずいているのだろうか。』
大城鉄不如、小城満丈余。
それは、この大きな城は堅固に作られ、鉄さえおよはぬほどのものであり、小さな城は万丈あまりの高いところにきずかれている。
借問潼関吏、修関還備胡。」
なぜこのようにするのかと潼関の役人に尋ねてみると、役人のいうには、「この関所を修理してまた安史軍が攻めてくるのにそなえるのだ」という。』
要我下馬行、為我指山隅。
そういって役人は私に対し馬から降りてあるかせ、山のすみの方向を指さしてわたしのために示したのだ。
連雲列戦格、飛鳥不能踰。』
その方をみると雲にまでつづいて障害物の柵がならんでおり、飛ぶ鳥さえ飛び越えられないほどの厳重さである。』
#2
胡来但自守、豈復憂西都。」
丈人視要処、窄狹容單車。
艱難奮長戟、萬古用一夫。」
哀哉桃林戦、百萬化為魚。
請嘱防関将、慎勿学哥舒。』
(潼関の吏)#1
士卒何ぞ草草たる,城を築く潼関の道。』
大城は鉄も如かず,小城は満丈余。
潼関の吏に借問す,関を修めて還た胡に備う。』
我を要して馬を下りて行く,我が為に山隅を指す。
雲を連ねて戦格に列し,飛鳥踰えること能はず。』
#2
胡来たれば但だ自ら守り,豈に復た西都を憂う。」
丈人要処を視よ,窄狹にして單車を容る。
艱難長戟を奮う,萬古一夫を用いる。』
哀い哉桃林の戦,百萬化して魚と為る。
請う防関の将に嘱し,慎て哥舒を学ぶこと勿れ。』
現代語訳と訳註
(本文)潼関吏 #1
士卒何草草、築城潼関道。」
大城鉄不如、小城満丈余。
借問潼関吏、修関還備胡。」
要我下馬行、為我指山隅。
連雲列戦格、飛鳥不能踰。』
(下し文)(潼関の吏)#1
士卒何ぞ草草たる,城を築く潼関の道。』
大城は鉄も如かず,小城は満丈余。
潼関の吏に借問す,関を修めて還た胡に備う。』
我を要して馬を下りて行く,我が為に山隅を指す。
雲を連ねて戦格に列し,飛鳥踰えること能はず。』
(現代語訳)
潼関駅の吏を見る
ここの潼関の駅ではどうしてあのように忙しく兵卒が塞城をきずいているのだろうか。』
それは、この大きな城は堅固に作られ、鉄さえおよはぬほどのものであり、小さな城は万丈あまりの高いところにきずかれている。
なぜこのようにするのかと潼関の役人に尋ねてみると、役人のいうには、「この関所を修理してまた安史軍が攻めてくるのにそなえるのだ」という。』
そういって役人は私に対し馬から降りてあるかせ、山のすみの方向を指さしてわたしのために示したのだ。
その方をみると雲にまでつづいて障害物の柵がならんでおり、飛ぶ鳥さえ飛び越えられないほどの厳重さである。』
(訳注)潼関吏
潼関駅の吏を見る
○潼関駅 陝西省華州華陰県の東北、河南省河南府関郷県の西六十里35kmにある。
士卒何草草、築城潼関道:
ここの潼関の駅ではどうしてあのように忙しく兵卒が塞城をきずいているのだろうか。』
○士卒 兵卒。○草草 労苦するさま、せわしそうなさま。○築城 城は城壁。潼関は黄河が南下して槻そして直角に曲がり東流して行く地点で、北と東から長安を目指して來る敵軍を守る要衝の地である。
大城鉄不如、小城満丈余:
それは、この大きな城は堅固に作られ、鉄さえおよはぬほどのものであり、小さな城は万丈あまりの高いところにきずかれている。
○大城 大きな城壁。○鉄不如 鉄の堅きもそれにおよはぬ、城の極めて堅固なことをいう。○小城小さい城壁。〇万丈余 これは山巌にまたがって、尾根に沿ってきずくために甚だ高いのである。
借問潼関吏、修関還備胡:
なぜこのようにするのかと潼関の役人に尋ねてみると、役人のいうには、「この関所を修理してまた安史軍が攻めてくるのにそなえるのだ」という。』
〇借問 作者が試みに問う。○修関還備胡 此の句は更が答えたことばである、修関とはこの潼関を修理すること、還はまた、この前に755年11月安禄山が叛乱し、約1カ月755年12月で洛陽城が落ち、756年6月戦力は圧倒的に多かった哥舒翰軍が大敗した(この詩の最終句に引用)。同月長安も落ちた。その後唐王朝は757年長安、洛陽を回?(ウイグル)との連合軍で戦って兩京を奪還した。そして758年冬相州?城に九節度使軍が安慶緒を包囲したが、范陽の史思明が安慶緒を撃ち、安慶緒軍を手中に入れ、再度洛陽を落した。史思明軍が長安に攻め込むというので潼関の守りを整えている時期であった。還は哥舒翰が敗れたにかかわらずこんどもまたの意、胡とは安慶緒・史思明らの安史軍をいう。
要我下馬行、為我指山隅。
そういって役人は私に対し馬から降りてあるかせ、山のすみの方向を指さしてわたしのために示したのだ。
○要 遇に同じ、むかえること。たいすること。○我 作者。○指 吏がゆぴざしてしめす。○山隅 山のすみのかた。
連雲列戦格、飛鳥不能踰。』
その方をみると雲にまでつづいて障害物の柵がならんでおり、飛ぶ鳥さえ飛び越えられないほどの厳重さである。』
○連雲 雲につらなるとは高いことをいう。○戦格 格とは障害物をいう、戦格は防禦用の柵。○不能踰 厳重にして飛びこえることができぬ。
潼関吏 #1
士卒何草草、築城潼関道。」
大城鉄不如、小城満丈余。
借問潼関吏、修関還備胡。」
要我下馬行、為我指山隅。
連雲列戦格、飛鳥不能踰。』
#2
胡来但自守、豈復憂西都。」
役人はいった、「こうやって準備をしておれば、安史軍が攻めてきたら、ただ自ら守りに専念するので、どうして二度と長安方面に心配事をさせることがありましょうか。
丈人視要處、窄狹容單車。
ご丈人さま、要害の箇所を注視してください、あのように路はばがせまくてたった一つの兵車しかとおれません。
艱難奮長戟、萬古用一夫。」
一朝国家の艱難辛苦の時であっても、味方が長い戟をふるうのですが、ここを守るにはどうやってもいつの世でもただ一人の兵士だけで事足りるということなのです」と。』
哀哉桃林戦、百萬化為魚。
その戦はまことに哀しいことで、前年桃林の戦いのとき王朝軍は大敗して大変多くの兵士が溺死して魚と化してしまったのだ。
請嘱防關將、愼勿學哥舒。』
わたしはこの潼関を防ぐ大将におたのみしたい、つつしんで前年の哥舒翰のまねだけはしてはならないと。』
(潼関の吏)#1
士卒何ぞ草草たる,城を築く潼関の道。』
大城は鉄も如かず,小城は満丈余。
潼関の吏に借問す,関を修めて還た胡に備う。』
我を要して馬を下りて行く,我が為に山隅を指す。
雲を連ねて戦格に列し,飛鳥踰えること能はず。』
#2
胡来たれば但だ自ら守り,豈に復た西都を憂う。」
丈人要処を視よ,窄狹にして單車を容る。
艱難長戟を奮う,萬古一夫を用いる。』
哀い哉桃林の戦,百萬化して魚と為る。
請う防関の将に嘱し,慎て哥舒を学ぶこと勿れ。』
現代語訳と訳註
(本文)#2
胡来但自守、豈復憂西都。」
丈人視要處、窄狹容單車。
艱難奮長戟、萬古用一夫。」
哀哉桃林戦、百萬化為魚。
請嘱防關將、愼勿學哥舒。』
(下し文)#2
胡来たれば但だ自ら守り,豈に復た西都を憂う。」
丈人要処を視よ,窄狹にして單車を容る。
艱難長戟を奮う,萬古一夫を用いる。』
哀い哉桃林の戦,百萬化して魚と為る。
請う防関の将に嘱し,慎て哥舒を学ぶこと勿れ。』
(現代語訳)
役人はいった、「こうやって準備をしておれば、安史軍が攻めてきたら、ただ自ら守りに専念するので、どうして二度と長安方面に心配事をさせることがありましょうか。
ご丈人さま、要害の箇所を注視してください、あのように路はばがせまくてたった一つの兵車しかとおれません。
一朝国家の艱難辛苦の時であっても、味方が長い戟をふるうのですが、ここを守るにはどうやってもいつの世でもただ一人の兵士だけで事足りるということなのです」と。』
その戦はまことに哀しいことで、前年桃林の戦いのとき王朝軍は大敗して大変多くの兵士が溺死して魚と化してしまったのだ。
わたしはこの潼関を防ぐ大将におたのみしたい、つつしんで前年の哥舒翰のまねだけはしてはならないと。』
(訳注)
胡来但自守、豈復憂西都:
役人はいった、「こうやって準備をしておれば、安史軍が攻めてきたら、ただ自ら守りに専念するので、どうして二度と長安方面に心配事をさせることがありましょうか。
○胡来六句 吏のことばで、胡来は安史軍が攻めてくること。〇日守 こちらでまもりふせぐ。○復前回に対して「また」という。○西都 長安をさす。
丈人視要処、窄狹容單車:
ご丈人さま、要害の箇所を注視してください、あのように路はばがせまくてたった一つの兵車しかとおれません。
○丈人 長者に対する敬称、吏が作者をさしていう。○要処 要害のばし上。○窄狭 みちはばせまし。○容単車 敵が攻めこむにもひとつの兵事だけしかいれられぬ。
艱難奮長戟、萬古用一夫:
一朝国家の艱難辛苦の時であっても、味方が長い戟をふるうのですが、ここを守るにはどうやってもいつの世でもただ一人の兵士だけで事足りるということなのです」と。』
○艱難 国事なんぎのときをいう。○奮長戟 奮は用カをいう、いきおいこんで長い戈を使うこと、味方についていう。○万古 永久、いつもの意。○用一夫 一人の武夫を用いるならば事足ることをいう。
哀哉桃林戦、百萬化為魚:
その戦はまことに哀しいことで、前年桃林の戦いのとき王朝軍は大敗して大変多くの兵士が溺死して魚と化してしまったのだ。
○桃林戦 756年6月9日天宝十五載六月哥舒翰の霊宝の敗戦をいう、桃林とは塞の名、河南府霊宝県の西にあり、秦の函谷関の地、およそここより西、潼関まではみな桃林と称する。周の武王が牛を桃林の野に放った処であるのによる。元和郡国志に桃林塞は霊宝より以西、潼関に至るまで皆これなり〕という、そして、書経『武成篇』に昔の周の武王が「牛を桃林の野に放つ」たのがこの地点であったという。〇百万化為魚 百万とは多くの兵卒をいう、時に哥舒翰の兵は二十万、「北征」詩にも「潼關百萬師,往者敗何卒?遂令半秦民,殘害為異物。」(潼関(どうかん) 百万の師(いくさ)、往者(さきには) 散ずるところ何ぞ卒(すみや)かなりし。遂に半秦(はんしん)の民をして、残害(ざんがい)して異物と為(な)らしむ。)とみえる。翰は楊国忠の督促によりやむを得ず兵を率いて潼関より出て霊宝の西原に至って安禄山軍に突撃し敗した。黄河に落ちて死んだもの数万人。化為魚とは溺死したことをいう。
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請嘱防関将、慎勿学哥舒:
わたしはこの潼関を防ぐ大将におたのみしたい、つつしんで前年の哥舒翰のまねだけはしてはならないと。』
○嘱 たのむこと。○防関将 このせき所を防禦する大将。○哥舒 哥舒翰。王朝軍は歩兵戦が基本で潼関の守りも大軍で敵が迫っても通路幅が小さいので大丈夫と言っているが騎馬軍団が襲うので突破されるかもしれないという心配をしている。
潼関吏
士卒何草草、築城潼関道。」
大城鉄不如、小城満丈余。
借問潼関吏、修関還備胡。」
要我下馬行、為我指山隅。
連雲列戦格、飛鳥不能踰。』
胡来但自守、豈復憂西都。」
丈人視要處、窄狹容單車。
艱難奮長戟、萬古用一夫。」
哀哉桃林戦、百萬化為魚。
請嘱防關將、愼勿學哥舒。』
(潼関の吏)
士卒何ぞ草草たる,城を築く潼関の道。』
大城は鉄も如かず,小城は満丈余。
潼関の吏に借問す,関を修めて還た胡に備う。』
我を要して馬を下りて行く,我が為に山隅を指す。
雲を連ねて戦格に列し,飛鳥踰えること能はず。』
胡来たれば但だ自ら守り,豈に復た西都を憂う。」
丈人要処を視よ,窄狹にして單車を容る。
艱難長戟を奮う,萬古一夫を用いる。』
哀い哉桃林の戦,百萬化して魚と為る。
請う防関の将に嘱し,慎て哥舒を学ぶこと勿れ。』
潼関駅の吏を見る
ここの潼関の駅ではどうしてあのように忙しく兵卒が塞城をきずいているのだろうか。』
それは、この大きな城は堅固に作られ、鉄さえおよはぬほどのものであり、小さな城は万丈あまりの高いところにきずかれている。
なぜこのようにするのかと潼関の役人に尋ねてみると、役人のいうには、「この関所を修理してまた安史軍が攻めてくるのにそなえるのだ」という。』
そういって役人は私に対し馬から降りてあるかせ、山のすみの方向を指さしてわたしのために示したのだ。
その方をみると雲にまでつづいて障害物の柵がならんでおり、飛ぶ鳥さえ飛び越えられないほどの厳重さである。』
役人はいった、「こうやって準備をしておれば、安史軍が攻めてきたら、ただ自ら守りに専念するので、どうして二度と長安方面に心配事をさせることがありましょうか。
ご丈人さま、要害の箇所を注視してください、あのように路はばがせまくてたった一つの兵車しかとおれません。
一朝国家の艱難辛苦の時であっても、味方が長い戟をふるうのですが、ここを守るにはどうやってもいつの世でもただ一人の兵士だけで事足りるということなのです」と。』
その戦はまことに哀しいことで、前年桃林の戦いのとき王朝軍は大敗して大変多くの兵士が溺死して魚と化してしまったのだ。
わたしはこの潼関を防ぐ大将におたのみしたい、つつしんで前年の哥舒翰のまねだけはしてはならないと。』