杜甫の詩 三吏三別 |
その年の冬から翌年の二月ごろまで、杜甫は洛陽の東、鞏県にある旧居に、どのような事情があったのか分からないが、帰っている。時に郭子儀ら九節度使の軍は二十万の兵を率いて、安慶緒を?城に包囲していたが、乾元二年(759)の二月、北の范陽に帰っていた史思明は南下して彭城を救援し、三月に九節度使の軍は大敗した。郭子儀は敗軍をまとめ、洛陽を守るために河陽に陣を布いた。所用をすませて鞏県から洛陽を経て華州へ帰る途中、杜甫は都城で大敗した官軍が、新安、石蒙剛の河陽で、あるいは潼関で洛陽防衛のための準備を急遽行なっているのに、出会った。
彼は帰途の見聞を「新安の吏」「石蒙の吏」「潼関の吏」および「新婚の別れ」「垂老の別れ」「無家の別れ」の、いわゆる三吏三別の詩に詠んだ。何年か前、長安で仕途を求めていたころに作った「兵車行」のころの社会情勢といえば、唐の軍隊と人民という構造で人民が強制的に徴兵、調達されていく中で完全に人民の側に立って見ている社会詩であった。しかし、この時の社会情勢は、唐王朝軍を支えなければ国が危うい。安史軍に国を目壺させられると人民は苦しむ。ウイグルの援軍をもって唐王朝が勝利してもウイグルとの間に禍根を残す、それらが人民にのしかかってくる。
「兵車行」がひたすら人民の立場に立って当時の辺境政策を批判したものであったのに比べ、三吏三別は、国難に際して、安史軍の撃退を切に願う思いと、戦乱の中で苦しんでいる人民への同情とがからみあった、矛盾の表現とならざるをえないものになっている。いま、それら「新安の吏」「石蒙の吏」「潼関の吏」の順で見てみよう。「新婚の別れ」「無家の別れ」「垂老の別れ」と見る。
新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1019 杜甫詩集700- 304
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新安吏
*原注 収京収京後作。雖収両京。賦猶充斥。
杜甫の注:長安及び洛陽を奪還し、兩京を収めたといっても、安慶緒軍は道いっぱいにはびこっている。”
客行新安道、喧呼聞點兵。
わたしが新安の大街道をとおってゆくときのことである、やかましい掛け声などがして兵の点呼、点検をはじめているのがきこえる。
借問新安吏、縣小更無丁。
どういうことなのかと新安の小役人にたずねてみると、彼がいうに、「この県は小さくてこのうえもはや壮丁として徴兵すべき「壮丁」の人材がいなくなったのです。
府帖昨夜下、次選中男行。
ゆうべ兵籍帖が幕府からさがってきましたが、これから第二選別の若者を選び「中男」としてこんどゆくのでございます」と。
中男?短小、何以守王城。』
中男というもの、見ればひどく背も低く、身なりも小さいが、どうしてこんなおとこで洛陽の王城が守れるというのか。』
肥男有母送、?男獨伶?。
白水暮東流、青山猶哭聲。
莫自使眼枯、收汝?縱。
眼枯即見骨、天地終無情。』
我軍取相州、日夕望其平。
豈意賊難料、歸軍星散營。
就糧近故壘、練卒依舊京。
掘壕不到水、牧馬役亦輕。
況乃王師順、撫養甚分明。
送行勿泣血、僕射如父兄。』
(新安の吏)
*原注 京を収めて後作る。両京を収むと雖も賊猶を充斥する。
客 行く新安の道、喧呼【けんこ】兵を點ずるを聞く。
新安の吏に借問すれば、「縣小にして更に丁無し。
府帖 昨夜下り、次選 中男行く。」と。
中男?【はなは】だ短小なり、何を以てか王城を守らん。』
肥男【ひだん】は母の送る有り、?男【そうだん】は獨り伶?【れいへい】たり。
白水暮に東流し、青山【せいざん】猶ほ哭聲【こくせい】。
自から眼をして枯らしむる莫かれ、汝が?の縱たるを收めよ。
眼枯れ即ち骨を見【あら】わすも、天地は終【つい】に情無し。』
我が軍 相州を取る、日夕【にっせき】其の平らかならんことを望む。
豈に意【おも】わんや賊の料【はか】り難く、歸軍して營に星散す。
糧に就きて故壘【こるい】に近づき、卒を練って舊京【きゅうけい】に依る。
壕を掘るも 水に到らず、馬を牧する役も亦輕し。
況んや乃ち王師は順なるをや、撫養【ぶよう】甚【はなは】だ分明なり。
送行するも血に泣くこと勿かれ、僕射【ぼくや】は父兄【ふけい】の如し。
現代語訳と訳註
(本文)新安吏
*原注 収京収京後作。雖収両京。賦猶充斥。
客行新安道、喧呼聞點兵。
借問新安吏?縣小更無丁。
府帖昨夜下、次選中男行。
中男?短小、何以守王城。』
(下し文)(新安の吏)
*原注 京を収めて後作る。両京を収むと雖も賊猶を充斥する。
客 行く新安の道、喧呼【けんこ】兵を點ずるを聞く。
新安の吏に借問すれば、「縣小にして更に丁無し。
府帖 昨夜下り、次選 中男行く。」と。
中男?【はなは】だ短小なり、何を以てか王城を守らん。』
(現代語訳)
新安の吏
“杜甫の注:長安及び洛陽を奪還し、兩京を収めたといっても、安慶緒軍は道いっぱいにはびこっている。”
わたしが新安の大街道をとおってゆくときのことである、やかましい掛け声などがして兵の点呼、点検をはじめているのがきこえる。
どういうことなのかと新安の小役人にたずねてみると、彼がいうに、「この県は小さくてこのうえもはや壮丁として徴兵すべき「壮丁」の人材がいなくなったのです。
ゆうべ兵籍帖が幕府からさがってきましたが、これから第二選別の若者を選び「中男」としてこんどゆくのでございます」と。
中男というもの、見ればひどく背も低く、身なりも小さいが、どうしてこんなおとこで洛陽の王城が守れるというのか。』
(訳注)
新安の吏
*原注 収京後作。雖収両京。賊猶充斥。
“杜甫の注:長安及び洛陽を奪還し、兩京を収めたといっても、安慶緒軍は道いっぱいにはびこっている。
○新安 河南省河南府の新安県。○収束 京は長安及び洛陽をさす。○賊 安慶緒らの軍。kanbuniinkaiでは官軍と賊軍という分けかたはしないで、叛乱軍。叛乱軍は大別して安慶緒軍と史思明の軍で構成、節度使、潘鎮が混入、異民族の軍隊、傭兵軍で集散するのである。そのため10年も続くのである。独自の動きをした叛乱もある。潘鎮、王朝血族の叛乱もある。その間、叛乱軍の権力構造阨マわるので史実に合わせ、訳していく。ここは、相州、?城に立て籠もった安慶緒軍をいう。○充斥 『左伝、?公三十一年』にみえる、みちひろがること。
客行新安道、喧呼聞點兵。
わたしが新安の大街道をとおってゆくときのことである、やかましい掛け声などがして兵の点呼、点検をはじめているのがきこえる。
○客 旅客、作者自ずからをいう。○喧呼 やかましく大ごえをだす。○点兵 兵籍に点つけをして人数をしらべる。
借問新安吏、縣小更無丁。
どういうことなのかと新安の小役人にたずねてみると、彼がいうに、「この県は小さくてこのうえもはや壮丁として徴兵すべき「壮丁」の人材がいなくなったのです。
〇借問 作者がかりにたずねる。○吏 県の小役人。○県小 此の句より「次選」の句までは更のことばである。○無丁は壮丁、兵卒としてめしだされるわかい働き盛りの男子。
府帖昨夜下、次選中男行。
ゆうべ兵籍帖が幕府からさがってきましたが、これから第二選別の若者を選び「中男」としてこんどゆくのでございます」と。
○府帖 府がだした兵籍、府は幕府、県の上級官庁。○下 県へきたこと。○次選 第一位のものがなくなったために、第二位のものをえらぶこと。○中男 唐では民を年齢によって黄・小・中・丁・老などに区別する。年次によってちがいがあるが、天宝三載には十八歳以上を中男とし、二十三歳以上を丁とした、ここは丁が無いので中男をとることをいう。○行 東都をまもるためにゆく。
中男?短小、何以守王城。』
中男というもの、見ればひどく背も低く、身なりも小さいが、どうしてこんなおとこで洛陽の王城が守れるというのか。』
○中男絶短小 此の句及び次句は作者の胸中をいう、短小はからだのせいがひくくちいさいこと。○王城 東都洛陽の城
#2
肥男有母送、?男獨伶?。
中男のなかに太った男がいて、そのかれの母親が見送りにきている。また痩せた男がいるがそれはひとり寄る辺なく淋しそうに見えている。
白水暮東流、青山猶哭聲。
道端の渓流に暮れ残る白き光をうかべて東に向かって流れてゆく、あたりの春霞にけむる青山に見送る人々の慟哭の声がやまず、絶えることなく響いている。
莫自使眼枯、收汝?縱。
(以下杜甫の語)あなたがたはそんなに泣いて、泣きつくして涙がかれてしまったたらいけない。ともかくそのように縦横に乱れおとす涙を抑えられて収めることにしてくれ。
眼枯即見骨、天地終無情。』
泣き涸らしてもしも骨がでるほどに見えてしまうことにでもなってしまう、この状況を天地はついに情のないものでいたしかたのないものだ。』(作者の語つづく)
我軍取相州、日夕望其平。
豈意賊難料、歸軍星散營。
就糧近故壘、練卒依舊京。
掘壕不到水、牧馬役亦輕。
況乃王師順、撫養甚分明。
送行勿泣血、僕射如父兄。』
(新安の吏)
*原注 京を収めて後作る。両京を収むと雖も賊猶を充斥する。
客 行く新安の道、喧呼【けんこ】兵を點ずるを聞く。
新安の吏に借問すれば、「縣小にして更に丁無し。
府帖 昨夜下り、次選 中男行く。」と。
中男?【はなは】だ短小なり、何を以てか王城を守らん。』
#2
肥男【ひだん】は母の送る有り、?男【そうだん】は獨り伶?【れいへい】たり。
白水暮に東流し、青山【せいざん】猶ほ哭聲【こくせい】。
自から眼をして枯らしむる莫かれ、汝が?の縱たるを收めよ。
眼枯れ即ち骨を見【あら】わすも、天地は終【つい】に情無し。』
我が軍 相州を取る、日夕【にっせき】其の平らかならんことを望む。
豈に意【おも】わんや賊の料【はか】り難く、歸軍して營に星散す。
糧に就きて故壘【こるい】に近づき、卒を練って舊京【きゅうけい】に依る。
壕を掘るも 水に到らず、馬を牧する役も亦輕し。
況んや乃ち王師は順なるをや、撫養【ぶよう】甚【はなは】だ分明なり。
送行するも血に泣くこと勿かれ、僕射【ぼくや】は父兄【ふけい】の如し。
現代語訳と訳註
(本文)#2
肥男有母送、?男獨伶?。
白水暮東流、青山猶哭聲。
莫自使眼枯、收汝?縱。
眼枯即見骨、天地終無情。』
(下し文)#2
肥男【ひだん】は母の送る有り、?男【そうだん】は獨り伶?【れいへい】たり。
白水暮に東流し、青山【せいざん】猶ほ哭聲【こくせい】。
自から眼をして枯らしむる莫かれ、汝が?の縱たるを收めよ。
眼枯れ即ち骨を見【あら】わすも、天地は終【つい】に情無し。』
(現代語訳)#2
中男のなかに太った男がいて、そのかれの母親が見送りにきている。また痩せた男がいるがそれはひとり寄る辺なく淋しそうに見えている。
道端の渓流に暮れ残る白き光をうかべて東に向かって流れてゆく、あたりの春霞にけむる青山に見送る人々の慟哭の声がやまず、絶えることなく響いている。
(以下杜甫の語)あなたがたはそんなに泣いて、泣きつくして涙がかれてしまったたらいけない。ともかくそのように縦横に乱れおとす涙を抑えられて収めることにしてくれ。
泣き涸らしてもしも骨がでるほどに見えてしまうことにでもなってしまう、この状況を天地はついに情のないものでいたしかたのないものだ。』(作者の語つづく)
(訳注) #2
肥男有母送、?男獨伶?。
中男のなかに太った男がいて、そのかれの母親が見送りにきている。また痩せた男がいるがそれはひとり寄る辺なく淋しそうに見えている。
○中男 唐では民を年齢によって黄・小・中・丁・老などに区別する。年次によってちがいがあるが、天宝三歳には十八歳以上を中男とし、二十三歳以上を丁とした、ここは丁が無いので中男をとることをいう。○肥男、痩男 中男についての肥痩をいう、肥はふとり痩はやせた体格のものをいう。○母送 ははおやが見おくりにきている、こえた男はこの母に愛してそだてられたものであろう、これに反してやせた男は母もなくみじめな境遇のものであろう。○伶? ひとりぼっちのさま。
白水暮東流、青山猶哭聲。
道端の渓流に暮れ残る白き光をうかべて東に向かって流れてゆく、あたりの春霞にけむる青山に見送る人々の慟哭の声がやまず、絶えることなく響いている。
○白水 しろく暮れのこる渓流。○東流 東とは男のゆく方向をいう。戦は東方向になる。○青山 春霞の山、附近の山をいう。○猶 ゆく人はすでに見えないのになおの意。○笑声 母やその他の見送る人人の哭くこえ、「肥男」より「青山」までの四句は叙事叙景をはさむ。
莫自使眼枯、收汝?縱。
(以下杜甫の語)あなたがたはそんなに泣いて、泣きつくして涙がかれてしまったたらいけない。ともかくそのように縦横に乱れおとす涙を抑えられて収めることにしてくれ。
○美白使眼枯 此の句より末尾の「僕射」の句までは作者が送行者をなぐさめる語である。慰めの形で、戦争に駆り立てる状況にしている政治体制を批判している。○眼枯 あまりに泣きつくして涙が枯れ尽くしてしまったことをいう。○収 とりかたづける。○縦横 次第もなくながれるさま。
眼枯即見骨、天地終無情。』
泣き涸らしてもしも骨がでるほどに見えてしまうことにでもなってしまう、この状況を天地はついに情のないものでいたしかたのないものだ。』(作者の語つづく)
○即見骨 もしもの意、○見骨 はなきかなしみやせて顔面の骨をあらわすにいたることをいう。○天地終無情 天地はつれない、とは戦争にゆかなければいけない状況を変えるようにはしてくれない。
新安吏
*原注 収京収京後作。雖収両京。賦猶充斥。
客行新安道、喧呼聞點兵。
借問新安吏、縣小更無丁。
府帖昨夜下、次選中男行。
中男?短小、何以守王城。』
#2
肥男有母送、?男獨伶?。
白水暮東流、青山猶哭聲。
莫自使眼枯、收汝?縱。
眼枯即見骨、天地終無情。』
"
我軍取相州、日夕望其平。
我が連合軍は安慶緒軍の相州(都城)を包囲し、奪取するというので、誰もみんな、朝から晩まで日のあるうちは、それが平らぐのを待っている。
豈意賊難料、歸軍星散營。
それに安慶著軍に意外にも史思明が援軍を送ったことは予想もしていなかったことだ、安史軍の勝利で九節度のそれぞれの軍はもどり軍隊となり、星を散らすように、それぞれの陣営にかえってしまった。
就糧近故壘、練卒依舊京。
そのうちで郭子儀の朔方軍は洛陽の近くのこれまでの塞に糧食に就き、旧京である洛陽を死守しようとして訓練をし、隊列を整えた。
掘壕不到水、牧馬役亦輕。
水の出る所まで深く掘るというではなく、壕を掘ったり、馬が役割を十分できるように、又軽い力わざを出せるように馬を牧養するという。
況乃王師順、撫養甚分明。
そのうえ勅命を受けている軍、天の順序、正道にかなっている軍隊であり、その兵卒を愛し、養うてくださることはだれにもはっきりわかっていることなのだ。
送行勿泣血、僕射如父兄。』
出兵する自分の子どもの出征をみおくるにしても血の涙を流して哭くには及ばないのである。総司令官である郭僕射は出征兵士にとっては父兄のように慈しんでくださるお方であるのだ。』
(新安の吏)
*原注 京を収めて後作る。両京を収むと雖も賊猶を充斥する。
客 行く新安の道、喧呼【けんこ】兵を點ずるを聞く。
新安の吏に借問すれば、「縣小にして更に丁無し。
府帖 昨夜下り、次選 中男行く。」と。
中男?【はなは】だ短小なり、何を以てか王城を守らん。』
#2
肥男【ひだん】は母の送る有り、?男【そうだん】は獨り伶?【れいへい】たり。
白水暮に東流し、青山【せいざん】猶ほ哭聲【こくせい】。
自から眼をして枯らしむる莫かれ、汝が?の縱たるを收めよ。
眼枯れ即ち骨を見【あら】わすも、天地は終【つい】に情無し。』
"
我が軍 相州を取る、日夕【にっせき】其の平らかならんことを望む。
豈に意【おも】わんや賊の料【はか】り難く、歸軍して營に星散す。
糧に就きて故壘【こるい】に近づき、卒を練って舊京【きゅうけい】に依る。
壕を掘るも 水に到らず、馬を牧する役も亦輕し。
況んや乃ち王師は順なるをや、撫養【ぶよう】甚【はなは】だ分明なり。
送行するも血に泣くこと勿かれ、僕射【ぼくや】は父兄【ふけい】の如し。
現代語訳と訳註
(本文)
我軍取相州、日夕望其平。
豈意賊難料、歸軍星散營。
就糧近故壘、練卒依舊京。
掘壕不到水、牧馬役亦輕。
況乃王師順、撫養甚分明。
送行勿泣血、僕射如父兄。』
(下し文)
我が軍 相州を取る、日夕【にっせき】其の平らかならんことを望む。
豈に意【おも】わんや賊の料【はか】り難く、歸軍して營に星散す。
糧に就きて故壘【こるい】に近づき、卒を練って舊京【きゅうけい】に依る。
壕を掘るも 水に到らず、馬を牧する役も亦輕し。
況んや乃ち王師は順なるをや、撫養【ぶよう】甚【はなは】だ分明なり。
送行するも血に泣くこと勿かれ、僕射【ぼくや】は父兄【ふけい】の如し。
(現代語訳)
我が連合軍は安慶緒軍の相州(都城)を包囲し、奪取するというので、誰もみんな、朝から晩まで日のあるうちは、それが平らぐのを待っている。
それに安慶著軍に意外にも史思明が援軍を送ったことは予想もしていなかったことだ、安史軍の勝利で九節度のそれぞれの軍はもどり軍隊となり、星を散らすように、それぞれの陣営にかえってしまった。
そのうちで郭子儀の朔方軍は洛陽の近くのこれまでの塞に糧食に就き、旧京である洛陽を死守しようとして訓練をし、隊列を整えた。
水の出る所まで深く掘るというではなく、壕を掘ったり、馬が役割を十分できるように、又軽い力わざを出せるように馬を牧養するという。
そのうえ勅命を受けている軍、天の順序、正道にかなっている軍隊であり、その兵卒を愛し、養うてくださることはだれにもはっきりわかっていることなのだ。
出兵する自分の子どもの出征をみおくるにしても血の涙を流して哭くには及ばないのである。総司令官である郭僕射は出征兵士にとっては父兄のように慈しんでくださるお方であるのだ。』
(訳注)
我軍取相州、日夕望其平。
我が連合軍は安慶緒軍の相州(都城)を包囲し、奪取するというので、誰もみんな、朝から晩まで日のあるうちは、それが平らぐのを待っている。
○我軍 唐王朝・回?連合軍。王朝軍は郭子儀たち九節度使軍、節度使が連合していない。○相州 ?城。洛陽から東北へ太行山脈を越て350km。○日夕 旦夕(旦は朝の初めから昼まで、夕葉日が落ち始めた2時以降しずむ頃まで)として用いる。○望 こちらが希望する。
豈意賊難料、歸軍星散營。
それに安慶著軍に意外にも史思明が援軍を送ったことは予想もしていなかったことだ、安史軍の勝利で九節度のそれぞれの軍はもどり軍隊となり、星を散らすように、それぞれの陣営にかえってしまった。
○豈意 意外にも。安慶緒に范陽の史思明が援軍を送ることを予想していなかった。○料 予想する。○帰軍 九節度の敗軍をいう、帰(もどってくる)の字を用いたのはまさに予想以上の大敗で攻める余地のないほど圧倒されたことを示す。○星散営 敗軍がそれぞれの軍営に星のごとくばらばらにちらはってかえる。以下の詩は同じように大敗をしたことに対する詩である。
悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152
悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153
就糧近故壘、練卒依舊京。
そのうちで郭子儀の朔方軍は洛陽の近くのこれまでの塞に糧食に就き、旧京である洛陽を死守しようとして訓練をし、隊列を整えた。
○就糧 兵食のある場所につく。○故塁 洛陽ちかくのもとのとりで。○練卒 兵卒を訓練する。○依 根拠とする。○旧京 洛陽をさす。
掘壕不到水、牧馬役亦輕。
水の出る所まで深く掘るというではなく、壕を掘ったり、馬が役割を十分できるように、又軽い力わざを出せるように馬を牧養するという。
○掘凌 ほりをほる。○不到水 浅くほることをいう。騎馬を走りにくくするための壕。○牧馬 うまをまきばでかう。○役 力しごと。
況乃王師順、撫養甚分明。
そのうえ勅命を受けている軍、天の順序、正道にかなっている軍隊であり、その兵卒を愛し、養うてくださることはだれにもはっきりわかっていることなのだ。
○王師順 王師は勅命を受けている軍、天の順序、正道にかなっていることをいう。○撫養 兵卒を愛撫し食物をあたえること。○分明 その事の疑うべからざることをいう、だれにもはっきりわかっている。
送行勿泣血、僕射如父兄。』
出兵する自分の子どもの出征をみおくるにしても血の涙を流して哭くには及ばないのである。総司令官である郭僕射は出征兵士にとっては父兄のように慈しんでくださるお方であるのだ。』
○送行 ここで中男が戦争にゆくのを見おくる。○泣血 血のなみだをだして哭く。○僕射 郭子儀をさす、子儀は至徳二載五月に?水に敗れ、司徒より降されて左僕射となった。乾元の初めには中書令であったので前の「洗兵行」には「郭相」といっているが、この詩はまた貶官を用いて僕射と称している、僕射は射をつかさどるという意味であるという。○如父兄 兵卒に対して親切なことをいう。郭子儀は李白の助命嘆願をしている。部下を可愛がる。