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盛唐の詩人


張説ものがたり


205 張説 (ちょうせつ)  667- 730年

  唐代の政治家。字は道済、または説之。洛陽の人。永昌元年(689)、進士に及第した。太子校書から鳳閣舎人に進んだが、張易之兄弟に逆らい、欽州に流された。易之が殺され中宗が復位すると、呼び戻されて工部侍郎・兵部侍郎を歴任。睿宗のとき、中書侍郎・雍州長史となった。また皇太子・李隆基(のちの玄宗)の侍読をつとめ、同中書門下平章事(宰相)に上った。玄宗の即位後、太平公主が蕭致忠らを登用したため解任された。太平公主が誅されると、中書令に上り、宰相に復した。燕国公に封ぜられた。のち姚崇・宇文融と対立して失脚した。左遷されて相州・岳州刺史を歴任した。姚崇の死後、ふたたび中書令となった。晩年、玄宗の信任を恃んで専断の行為があり、弾劾を受けて罷免されたが、また右丞相に返り咲いた。のち左丞相に遷った。文筆は蘇?とともに「燕許大手筆」とうたわれた。『張説之文集』。





667年 洛陽にて誕生
688年 科挙に合格、太子校書郎となる
700年 武則天の三陽宮での長期滞在を諫める
702年 中書舎人(鳳閣舎人)に抜擢される
703年 魏元忠を庇って欽州に流罪となる
705年 中宗に召されて兵部員外郎、次いで工部侍郎となる
710年 中書侍郎兼雍州長史となる。李重福の反乱を裁く
711年 同中書門下平章事(宰相)に昇進
712年 太平公主に東都留司に左遷される
713年 玄宗に佩刀を贈って挙兵を決意させ、中書令(宰相)に昇進。燕国公に封じられるも、姚崇の讒言によって相州刺史、河北按察使へ左遷
716年頃 岳州刺史へ異動
717年頃 荊州長史へ異動
718年頃 右羽林将軍兼幽州都督へ異動
719年 并州大都督長史兼天兵軍大使、御史大夫に異動
721年 突厥の反乱を平定。兵部尚書、同中書門下(副宰相)となる。
722年 朔方節度使に転任
723年 中書令に昇進
725年 集賢殿書院院長となる
726年 官吏登用を私した罪で中書令を罷免される
729年 尚書右丞相、のち左丞相となる
730年 病気により死去。