古詩十九 之一
行行重行行、與君生別離。
相去萬餘里、各在天一涯。
道路阻且長、會面安可知。
胡馬依北風、越鳥巣南枝。
相去日已遠、衣帯日已緩。
浮雲蔽白日、遊子不顧返。
思君令人老、歳月忽已晩。
棄捐勿復道、努力加餐飯。



古詩十九首 之二
青青河畔艸、欝欝園中柳。
盈盈楼上女、皎皎当窓?。
娥娥紅紛粧、繊繊出素手。
昔為倡家女、今為蕩子婦。
蕩子行不帰、空牀難独守。



古詩十九首 之三
青青陵上栢、磊磊?中石。
人生大地間、忽如遠行客。
斗酒相娯楽、聊厚不為薄。
駆車策駑馬、遊戯宛與洛。
洛中何欝欝、冠帯自相索。
長衢羅夾巷、王侯多第宅。
両宮遥相望、双闕百余尺。
極宴娯心意、戚戚何所迫。

漢の武帝



漢武帝故事によれば、帝は河東(山西省) に行幸して、后土(地の神)を祀った時、汾河の中流に船をうかべて、群臣と酒くみかわし、帝京をかえりみ、欣然としてこの歌を作ったとある。


武帝:漢の武帝。(前156年〜前87年)前漢の第7代皇帝(在位:紀元前141年3月9日 - 紀元前87年3月29日)。諱は徹。廟号は世宗。正式な諡号は孝武皇帝。初代皇帝高祖劉邦の曾孫に当たり、父は景帝で、生母は王氏。また、皇太子に立てられる前の王号は膠東王(こうとうおう)。

これらの体制と文景の治による多大な蓄積を背景に、宿敵匈奴への外征を開始する。高祖劉邦が冒頓単于に敗れて以来、漢はその孫の軍臣単于が君臨する匈奴に対して低姿勢で臨んでいたが、武帝は反攻作戦を画策する。
かつて匈奴に敗れて西へ落ちていった大月氏へ張騫を派遣する。大月氏との同盟で匈奴の挟撃を狙ったが、同盟は失敗に終わった。しかし張騫の旅行によりそれまで漠然としていた北西部の情勢がはっきりとわかるようになった事が後の対匈奴戦に大きく影響した。
武帝は衛青とその甥の霍去病の両将軍を登用して、匈奴に当たらせ、幾度と無く匈奴を打ち破り、西域を漢の影響下に入れた。更に李広利に命じて、大宛(現/中央アジアのフェルガナ地方)を征服し、汗血馬を獲得した。また南越国に遠征し、郡県に組み入れ、衛氏朝鮮を滅ぼして楽浪郡を初めとする漢四郡を朝鮮に置いた。

これらの成果により前漢の版図は最大にまで広がり、武帝の治世は前漢の全盛期と賞される。高祖劉邦にすら成し遂げられなかった匈奴打倒を達成した武帝は泰山に封禅の儀式を行って、自らの功績を上天に報告した。
武帝の治世の前期は漢の最盛期であり、中国史上において栄光の時代の一つでもあった。しかし、文景の治による蓄積によっての繁栄であるという見方もあり、後半の悪政も含めて考えれば武帝の評価は分かれる所である。彼自身、外交や遠征などの派手な事業については特筆すべき事柄が多いが、内政に関して見るべきものがない。むしろ、こうした地道な政治を後手に回していたきらいがあり、さかんな造作もあいまって治世末には農民反乱が頻発した。このため、後世は秦の始皇帝と並び「(英邁な資質ではあるが)大事業で民衆を疲弊させた君主」の代表例として、しばしば引き合いに出されることとなる。

秋風辭
秋風起兮白雲飛,草木黄落兮雁南歸。
秋風湧き上がり吹いて、白雲が飛び季節の変わりを知らせてくれる。草木が黄ばんで散り落ち、雁は南の方へ帰っていく。
蘭有秀兮菊有芳,懷佳人兮不能忘。
秋蘭(ふじばかま)は、君子が佩びるめでたい草であり、菊はよい花の薫りがする草である。それを見て美人をなつかしく思い、忘れることができない。 
汎樓船兮濟汾河,中流兮揚素波。
高楼のある屋形船を浮かべて、汾河を渡る。簫と太鼓を鳴らせば、舟歌が起こる。
簫鼓鳴兮發櫂歌,歡樂極兮哀情多。
川の流れの中程に横たえると、白い波が揚がる。群臣たちと酒をくみかわして楽しみごとが極まれば、哀しみの思いが多くなる。 
少壯幾時兮奈老何。
年若く意気盛んな時がどれほどの時間になろうか、品性は儚いものであるから、やがて迎える老年をどのようにしようか。


(秋風の辭)
秋風起こりて 白雲飛び,草木黄落して 雁南歸す。
蘭には秀【しう】有りて 菊には芳【ほう】有り,佳人を懷【おも】うて忘るる能【あた】わず。
樓船を汎【うか】べて汾河を濟【わた】り,中流をわりて素波【そは】を揚【あ】ぐ。
簫鼓【そうこ】鳴りて櫂歌【とうか】を發っし,歡樂 極りて哀情多し。
少壯【しょうそう】幾時【いくとき】ぞ老いを奈何【いか】にせん。



・樂府
古代の民歌。本来は漢の武帝が音楽を司る役所・楽府を設置して、音曲や歌謡を採取した処。後、そこで歌われた歌謡と詩体が同じものをも樂府と云い、同形式の古代歌謡の意味を持つようになった。「樂府」「古樂府」「漢樂府」「樂府體」「樂府詩」「樂府歌辭」ともいう。このことは、填詞(宋詞)が唐の教坊の曲に端を発しているものが多いのと酷似している。片や、漢・樂府→同一音楽の歌謡(樂府)、片や、唐・教坊→同一音楽(詞牌)の歌詞(填詞)となり、詩歌の発展の姿がよく分かる。この作品は、宋の郭茂倩『樂府詩集』巻八十四「雜歌謠辭」、『古詩源』巻一「古逸」、『文選』巻四十五等の中にある。


現代語訳と訳註
(本文) 秋風辭
秋風起兮白雲飛,草木黄落兮雁南歸。
蘭有秀兮菊有芳,懷佳人兮不能忘。
汎樓船兮濟汾河,中流兮揚素波。
簫鼓鳴兮發櫂歌,歡樂極兮哀情多。
少壯幾時兮奈老何。


(下し文) (秋風の辭)
秋風起こりて 白雲飛び,草木黄落して 雁南歸す。
蘭には秀【しう】有りて 菊には芳【ほう】有り,佳人を懷【おも】うて忘るる能【あた】わず。
樓船を汎【うか】べて汾河を濟【わた】り,中流をわりて素波【そは】を揚【あ】ぐ。
簫鼓【そうこ】鳴りて櫂歌【とうか】を發っし,歡樂 極りて哀情多し。
少壯【しょうそう】幾時【いくとき】ぞ老いを奈何【いか】にせん。


(現代語訳)
秋風湧き上がり吹いて、白雲が飛び季節の変わりを知らせてくれる。草木が黄ばんで散り落ち、雁は南の方へ帰っていく。
秋蘭(ふじばかま)は、君子が佩びるめでたい草であり、菊はよい花の薫りがする草である。それを見て美人をなつかしく思い、忘れることができない。 
高楼のある屋形船を浮かべて、汾河を渡る。簫と太鼓を鳴らせば、舟歌が起こる。
川の流れの中程に横たえると、白い波が揚がる。群臣たちと酒をくみかわして楽しみごとが極まれば、哀しみの思いが多くなる。 
年若く意気盛んな時がどれほどの時間になろうか、品性は儚いものであるから、やがて迎える老年をどのようにしようか。



(訳注)
秋風辭
漢魏六朝に流行した辞賦の影響で対句をよくしている。この詩は武帝が汾河の南方(現・山西省万栄県汾水)を巡行した際のもの。自然の情景を詠みながら、老いていく人生の歎きを詠っている。人生の悲哀を語りかけてくる。 
辞 散文の要素を持った詩体のこと。

秋風起兮白雲飛、草木黄落兮雁南歸。
秋風湧き上がり吹いて、白雲が飛び季節の変わりを知らせてくれる。草木が黄ばんで散り落ち、雁は南の方へ帰っていく。 
秋風 西風。あきかぜ。参考に下記の詩をあげた。
李白『三五七言』
秋風清、    秋月明。
落葉衆還散、  寒鴉棲復驚。
相思相見知何日、此時此夜難怠惰。
三五七言 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白171 玄宗(4

宿贊公房
〔原注〕 賛。京師大雲寺主。謫此安置。
杖錫何來此,秋風已颯然。
雨荒深院菊,霜倒半池蓮。
放逐寧違性??空不離禪。
相逢成夜宿,隴月向人圓。
宿贊公房 杜甫 <279> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1286 杜甫詩 700- 393

 おきる。吹き始める。 
 語調を整える助辞。押韻に似た音楽的な働きをする。古代の詩歌に多く見られる。特に『楚辞』、『詩経』に多くみる。古文復興の韓愈も好んで使用している。 
白雲飛 白雲が飛ぶ。白雲が起こる。白雲:用法により「移ろう人間の世・無情」に対して、「不変の自然・真理」という意味合いとともに、超俗的な雰囲気を持つ語で、仏教、浄土、極楽、道教では、仙界、天界の趣をもつもの。ここでは、時節の変化の意味で使う。
黄落 黄ばんで散る。落葉。 
 渡り鳥。 
南歸 南の方へ帰っていく。 秋が深まって、北方のこの場所から雁は、南の方へ帰っていく。


蘭有秀兮菊有芳、懷佳人兮不能忘。
秋蘭(ふじばかま)は、君子が佩びるめでたい草であり、菊はよい花の薫りがする草である。それを見て美人をなつかしく思い、忘れることができない。 
 ここでは、秋蘭で、フジバカマ。『史記、孔子世家』「孔子?聘諸侯,莫能用。自衛反魯,隱谷之中,見香蘭獨茂,喟然嘆曰:“夫蘭當為王者香,今乃獨茂,與?草為伍。”乃止車,援琴鼓之。自傷不逢時,托辭於香蘭雲。」『楚辞』『離騒』「帝高陽之苗裔兮,朕皇考曰伯庸。攝提貞於孟陬兮,惟庚寅吾以降。皇覽揆余初度兮,肇錫余以嘉名。名余曰正則兮,字余曰靈均。紛吾既有此内美兮,又重之以脩能。扈江離與辟兮,秋蘭以爲佩。」春蘭は、一般的なランになる。
 「名詞」めでたい草。動詞のばあい、ひいでる、花が咲く。稲や草の花が咲く。
 「名詞」よい花の薫り。動詞のばあい、花がかおる。
佳人 美人。宮妓。みめかたちのよい女。


汎樓船兮濟汾河、簫鼓鳴兮發櫂歌
高楼のある屋形船を浮かべて、汾河を渡る。簫と太鼓を鳴らせば、舟歌が起こる。
汎 うかべる。 
樓船 二階造りの船。屋形船。『楚辭九歌 河伯』「與女遊兮九河,衝風起兮波。……與女遊兮河之渚,流?紛兮將來下。」黄河の神を祭る詩、黄河の女神の話を背景にしたもの。
 わたる。川を渡る。 
汾河 黄河の支流。汾水。五台山を水源に山西省の寧武県に源を発し、河津県で黄河に注ぎ込む。

中流兮揚素波、歡樂極兮哀情多
川の流れの中程に横たえると、白い波が揚がる。群臣たちと酒をくみかわして楽しみごとが極まれば、哀しみの思いが多くなる。 
 横たえる。横ざまにする。動詞。 
中流 川の流れの中程。河の真ん中
素波 白い波。白い波を揚げて、川の流れの中程を横切ることをいう。
簫鼓 ふえと太鼓。管楽器と打楽器で、音楽の謂い。・簫:古代のものは、ハーモニカ状に竹管の吹き口が並んだ楽器。なお、笙は吹き口が一箇所で形状は似ているものの大きく異なる。 
・發 おこる。発する。声に出す。 
櫂歌 櫂を漕ぐ時の歌声。舟歌。
・歡樂 歓楽。楽しみごと。 
極 きわまる。 
哀情 かなしみの思い。


少壯幾時兮奈老何
年若く意気盛んな時がどれほどの時間になろうか、品性は儚いものであるから、やがて迎える老年をどのようにしようか。 
・少壯 年若く意気盛んな時。年の若いことまた、その時期。二十歳代、三十歳代ぐらいまでの世代。
・幾時 どれほどの時間だろうか。 
・奈老何 老年をどのようにしようか。

「楽府」


「人生生き方」