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漢詩(1)杜甫 高胼
1.水檻遣心  杜甫 
2.江村 杜甫   
3.山亭夏日 高駢
漢詩(2)  李商隠
1.夜雨寄北  
2.嫦娥  3.漢宮詞
4.登樂遊原  
5.錦瑟  6.瑤池 
杜甫の年譜
0.はじめに   
1.青年期    
2.長安仕官活動10年
3.仕官と安禄山の乱
4.官辞し乱を避て紀行
5.成都浣花渓草堂 
6.南国漂泊  

 杜甫李白を詠う

 王維ものがたり
1.生誕から26歳 

   












 ● 田園楽 七首

 ● もう川集 20首
李白ものがたり
 李白詩  
 李白ものがたり  
 杜甫を詠う2首と1首
王維・李白・杜甫  その時
杜甫10歳・李白21歳・王維23歳
杜甫25歳・李白36歳・王維38歳
杜甫35歳・李白46歳・王維48歳
    (安史の乱)
  ●安禄山の叛乱
  ●叛乱の背景
各時代の概略と詩人



4.唐時代と詩人
5.宋時代以降
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王維・李白・杜甫
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共通事項
●杜甫の年譜
●李白の年譜
●王維の年譜
697神功元
698聖暦元則天武后 皇帝に
699聖暦 2年 699年


(699)王維、蒲州に
誕生
700聖暦3年 700年


(700)弟、王縉誕生
701長安元 ・高適生れる。

・701 李白西域で
誕生

702長安2、没。突厥入寇



703長安3 ・張説、欽州に流される。



704長安4 ・則天武后、病臥。



705神竜元 ・則天武后没。中宗 即位。



706神竜2 ・十道巡察使をおく。突厥入寇



707景竜元 ・3月、吐蕃入貢。



708景竜2
・708 杜甫の祖父、杜
審言60歳没。


709景竜3 ・顔真卿、生まれる。



710景雲元・玄宗、中宗毒殺、父の睿宗即位

・710 李白10歳 
詩書に通じ、百家
を読む

711景雲2 ・王翰、進士に及第。 ・十道按察使をおく。

玄宗がクーデター起す

 
712先天元年 712年・景雲三年正月、太極と改元、五月、延和と改元。八月、玄宗即位先天と改元。
・712河南肇県で誕生。
父は閑、母は雀氏。父
方祖父は高級官僚。父
は地方の役人をした.母
方の祖母は政変で没落
した、宗家の血筋であっ
  712 王維14歳
713開元元 ・十二月、開元。張説、中書令となる。


・713 王維15歳 
長安に上がる。ど
こかの寺の宿坊に
滞在して勉学に励
んでいた「題友人
雲母障子」
714開元2   正月、教坊を蓬莱宮側におき、玄宗みずから法曲を教授す、これを梨園の弟子という。  沈?期、没。


・714 王維16歳 
「過秦始皇墓」王
維、琵琶で玄宗の
弟岐王に寵愛を受
け長安で流行児
715開元3 ・岑參、生まれる。

・715 李白 15歳
 ・剣術を好み、奇
書を読み、賦をつく
る。
715 王維17歳 
長安の予備試験。
主席合格。「九月
九日憶山東兄弟」
   王維 19歳 
「息夫人」
716開元4 ・蘇廷、宰相となる。睿宗、没。
・716 母崔氏が四歳の
ころには亡くなる。すぐ、
継母が来るが人物不明
 
717開元5 ・阿倍仲麿、入唐。黄河氾濫。

 
718開元6 ・718 賈至生まる。吐蕃、和を請う。
・718 7歳 始めて詩文
をつくる。
・718 李白18歳 
載天山に隠れる。

719開元7
・719 8歳 叔母二姑
(アルクー)に預けられ、
洛陽城内の仁風里で育
・719 李白19歳 
豪放で恬淡な生
活。任侠徒に加わ
り殺傷させる。
・719 王維21歳 
進士及第。太楽丞
任官。
720開元8 孟浩然、李白、王推ともに22,23歳。
・720 9歳 始めて大字
を習う。 
・720 李白蘇廷に
認められる。
・720 王維22歳 
済州に左遷。足か
け6年
721開元9
杜甫 10歳 ・721 李白21歳
都、峨眉山に遊
ぶ。
 王維 23歳  済
722開元10 ・兵農分化始まり、募兵し宿衛に充てる。

・722 李白22歳岷
山に隠れる。小鳥
を懐ける。 科挙試
験に推挙されたが
拒否

723開元11  ・張説、中書令となる



724 開元12開元12年724年



725開元13 ・11月、玄宗、泰山に封禅の礼を行う。
・725 14歳 文人仲間
に入る。李亀年の歌を聴
く。
・725 李白25蜀を
発。江陵、洞庭湖
など巡る。「峨眉山
月歌」
・725 王維27歳ま
で 済州にいた。
726開元14 ・ 厳武、生まれる。
(17・18歳頃)   ・726 王維28歳 
春に、王維は文陽
の人に別れを告げ
て蒲州に帰り、暫く
滞在し、長安に上
る。蜀への転勤を
命ぜらる。
727開元15 ・ 蘇廷没。  王昌齢、進士及第。

・727 李白27歳 
友人呉指南と、楚
に遊ぶ。

728開元16開元16年728年  ・ 7月吐蕃破る。

  ・728 王維30歳 
洛陽方面の地方
官、洛陽付近を
転々とす。文陽の
人と暮らす。
729開元17開元17年729年
・729 洛陽の盛り場に
出入りする
  ・729 王維31歳 
洛陽方面の地方
官、洛陽付近を
転々とす。宋之問
の旧別荘を購入。
「罔川閑居」「田園
楽七首」
730開元18  ・張説(64)没。
・730 19歳晋(山西)に
遊び、呉暇に至る。
・730 李白30歳前
後2〜3年長安地
方に滞在。
・730 王維32歳 
洛陽方面の地方官
731開元19・9月渤海入寇。
・731 20歳 呉越(江
蘇・浙江)に遊ぶ。

・731 王維33歳 
妻「文陽の人」死
す。
732開元20・唐、奚・契丹を破る。六月花蕚楼を広げ、夾城を築き後芙蓉園となる。
・732 21歳 呉越(江
蘇・浙江)に遊ぶ。
・732 李白32歳 
安陸で許幸師の孫
と結婚

733開元21・11月、宋環、辞職す。天下を15道に分け、采訪使をおく。
・733 22歳 呉越(江
蘇・浙江)に遊ぶ。
 
734開元22・張九齢、中書令となる。顔真卿、進士及第。
・734 23歳 呉越(江
蘇・浙江)に遊ぶ。鞏県
で郷試(ごうし)を受けて
及第。

・734 王維36歳 
妻の三年の喪があ
けると、張九齢を頼
って再び官途につ
く運動をはじめる。
張九齢王維を右拾
遺に抜擢
735開元23・寿王、楊氏を妃とす。 賈至、進士及第。
・735 24歳 呉越より洛
陽に帰り、進士の試験
に応ずるも及第せず
・735 李白35歳 
太原に遊ぶ。「太
原早秋」
・735 王維37歳 
張九齢は王維を自
分の部下として重
736開元24・11月、張九齢、靡免さる。李林甫、中書令を兼ぬ。・安禄山、契丹に敗れる。
・736 25歳 斉趙(山
東・河北)に遊び、蘇源
明と交わる。龍門の奉
先寺を訪ねる 「遊龍門
奉先寺」前代風秀作。
李白 36歳 太原 ・736 王維38歳 
母崔氏の一族で崔
希逸が河西節度副
使で涼州(甘粛省
武威県)に使府を
置。その幕僚に辟
召され、涼州へ。 
「寄荊州張丞相
(所思竟何在)」
737開元25・4月、張九齢、刑州に流さる。李林甫,台頭。
・737 26歳 蘇預ととも
に斉趙に遊ぷ。蘇預(の
ち源明)は生涯の友とな
る。

・737 王維39歳 
 ・涼州にあり 
「涼州郊外遊望
(野老才三戸) 」
738開元26・3月、唐軍、吐蕃を破る。6月、唐草、契丹を大いに破る。
・738 27歳 斉趙に遊
ぷ。

738 王維40歳 
 ・涼州にあり 
「出塞作(居延城
外猟天驕)」
739開元27 ・8月、唐軍、突蕨に大勝す。李林甫、吏部尚書となり、中書令を兼ねる。
・739 28歳 斉趙に遊
ぷ。
  ・739 王維41歳 
長安帰るが、陝西
北部へ視察・派遣
740開元28 ・この年、五穀豊かに稔り、米価は斗二百に満たず、天下、泰平を謳歌す。張九齢・孟浩然死す。
・740 29歳 斉趙に遊
ぷ。 泰山を詠う。名作
「望嶽」を作る
・740 李白40歳 
 山東に遊ぶ。酒
びたりの生活。
・740 王維42歳 
殿中侍御史とし
て、南方へ出張。
親友孟浩然と再会
したが、帰り寄ると
死去していた。罔
川荘本格的に、経
営。 「哭孟浩然
(故人不可見)」
741開元29 ・正月、両京(長安、洛陽)の諸州に玄元皇帝廟を置く
・741 30歳 洛陽に帰
り、陸渾荘を築く。「お
ば」が亡くなり、寒食日
に遠祖杜預を祭る。妻を
迎えた?(女性の影)

・741 王維43歳 
中書省の右補闕に
任ぜらる。 「登辨
覚寺(竹径従初
地)」
742天宝元 ・李白、会稽より長安に来たる。安禄山、平鹿節度使となる。
・742 31歳 洛陽にあ
り。就職活動、題画詩
「畫鷹」 「夜宴左氏荘」
・742 李白42歳 
玄宗の妹の推薦で
長安に。太子賓
客、賀知章に認め
られ、翰林供奉に
任ぜられる。

743天宝2 杜甫の援者李北海 李邑のことで広陵の人。汲郡・北海の太守となる。
・743 32歳 洛陽にあ
り。士官活動。
・743 李白43歳 
長安で飲中八仙の
遊びを楽しむ。宮
廷で宦官の高力士
を辱めた。
王維は生涯に多く
の「送別」の詩を作
っていますが、ほと
んどの作品が制作
年次不明です。ま
た、天宝三載(744)
ころから八年間ほ
どの王維の伝記は
ほとんどわかりま
せん。作詩期不明
なもの多くはこの
時期ではないか。
744天宝3 ・正月、年を改めて載となす。賀知章、長安を去り、没(86)。岑參、進士及第。李白、翰林院に出仕す。三月、安禄山、抱陽節度使を兼ぬ。寿王妃楊氏、大兵と号して宮中に召さる。李白、金を賜わりて長安を追わる。
・744 33歳 洛陽にあ
り。夏、初めて李白と遇
う。秋、梁宋(河南)に遊
び、李白・高適と吹台・
琴台に登り、河を渡って
玉屋山に遊ぶ。
・744 李白44歳 
長安を放遂。杜
甫、高適と初めて
交わる。

745天宝4・8月、大兵を貴妃となし、その三姉、第宅を賜わる。この年、李白、山東に在り、冬、江東に去る。    安禄山、契丹を破る。
・745 34歳 再び斉魯
に遊ぷ。済州にて大守
李邑の宴にあずかる。
秋、えん州に至る。時に
李白もまた来たり、とも
に遊ぷ、友情ますます
密。いくばくもなく城東の
石門にて別れ、ついに
復た会わず。李白は道
士入門、修行を終え、魯
郡の「魯の婦人」と一緒
になる。
・745 李白45歳 
秋。杜甫と別れる。
道士入門、修行を
終え、魯郡の「魯
の婦人」と一緒に
なる。
・745 「送元二使
安西」
746天宝5 ・李林甫、敵対派、皇帝側近を貶謫,投獄す。
・746 35歳 斉魯より長
安に帰る。汝陽王・鮒鳥
鄭潜擢に従って遊ぶ。
李白 46歳 王維 48歳
747天宝6 天下に詔して、一芸に通ずるものを長安に集めて試験す。李林甫、文学の士を嫌い、みなこれを落とす。正月、李邑殺さる。10月、温泉宮を改めて華清宮となし、その規模を拡大す。李林甫、権威を嵩に獄死者多数。
・747 36歳 長安にあ
り。天子の詔に応じて、
試験に応ぜしも及第せ
ず。結婚ともに晩婚。妻
の家柄がよい。杜甫35
歳、妻25歳。


748天宝7 ・10月、貴妃の三姉、国夫人に封ぜらる。
・748 37歳 長安にあ
り。しばしば韋済に詩を
贈り、引き立てられんこ
とを求む。
  ・748 王維「山居
秋暝(空山新雨
後)」
749天宝8 ・哥舒翰、吐蕃を破る。・府兵制の崩壊、折衝府軍の形骸化。
・749 38歳 長安にあ
り。冬、洛陽に帰り、玄
元皇帝の廟に参る。


750天宝9 ・5月安禄山、東平郡王に封ぜらる。7月広文館を置き、鄭虔を博士となす。
・750 39歳 長安に来
たり、初めて鮮度に遇
う。長子宗文生まる。家
族4人。 「兵車行」

・750 王維52歳 
母崔氏、死去。享
年七十歳
751天宝10 ・正月、三大礼行なわる。2月安禄山、河東節度使を兼ぬ。4月鮮千仲通、南詔を討ち、高仙芝、大食を討ち、八月、安禄山、契丹を討って、ともに大敗す。均田・租庸調制と府兵制は崩壊(749年廃止).
・751 40歳 長安にあ
り。三大礼賦を献ず。玄
宗これを奇とし、命じて
制を集賢院に待たしむ。
秋、瘧を病む。「貧交行」


752天宝11 ・11月宰相李林甫(65歳位)が病死、楊国息、右相となる。、18年間の圧制も今度は楊貴妃一族に取って代わる。
・752 41歳 長安にあ
り。召されて文章を試
み、有司に送り隷して選
序に参列せしめらる。暮
春、しばらく洛陽に帰
る。冬、長安にて岑参、
高適、儲光羲と交わる。
 「同諸公登慈恩寺塔」
 「麗人行」
・楊国忠が宰相に
なって安史の乱が
起こる755年11月
までの三年間は、
楊貴妃一族が謳歌
した時代です。
・752 王維54歳 
文部郎中(従五品
上)に任ぜられる 
王維 「送秘書晁
監還日本国」
753天宝12 ・8月、長安に長雨あり、米穀騰貴す。
・753 42歳 長安にあ
り。夏初、鄭虔と何将軍
の山林に遊ぷ。父の
死。秋、次子宗武生ま
る。家族10人。


754天宝13 ・この年、戸部郡県の戸口の数を奏して、唐代の極盛となすも、関中は大いに餞う。蘇漁明、国子司業となる。
・754 43歳 長安にあ
り。封西岳賦を献ず。洛
陽より家族を移し、城南
に居住す。夏日照り、
秋、長雨あり、物価騰貴
し、生計ますます苦しく、
ついに家族を奉先にあ
ずく。
・754 李白54歳 
広陵で遊ぶ。
・754 56歳 ・罔
川集・罔川荘 ほ
ぼ完成す。   約
10年かかって整備
してきた。  05
「鹿柴」 13「欒家
瀬」 17「竹里館」
755天宝14 ・11月初

安禄山叛乱、河北を占領す。12月、洛陽を陥る。哥舒翰、兵馬副元帥となり、潼関を守る。
・755 44歳 長安にあ
り。白水に舅の雀十九
翁を訪う。十月、長安に
帰る。河西の尉を授けら
れしも受けず、改めて右
衛率府胃管参軍に任ぜ
らる。十一月、また奉先
の妻子を訪い、京より奉
先県に赴き懐を詠ず五
百字を作る。歳暮、幼子
を失う。
・755 李白55歳 
盧山に隠棲。
王維:罔川荘はそ
の間に完成間じか
でした。王維の収
入はすべて罔川荘
の経営に注ぎこま
れたものと思われ
ます。
756至徳元 ・正月、安禄山、洛陽にて雄武皇帝と称す。6月、哥舒翰、霊宝に敗れ、禄山、潼関を陥る。玄宗、蜀に葬らんとして、馬鬼に至りしとき、陳玄礼、揚国忠を殺す。場景好もまた縊殺さる。禄山、長安を陥る。7月、太子享、霊武に即位す。10月、房官、陳陶斜に放る。永王堺、江南に叛反し、李白その幕僚となる。王昌齢、没。
・756 45歳 春、長安に
あり。五月、難を避けて
奉先に至り、家族をたず
さえて白水に赴き、舅の
雀氏に寄る。六月、家族
を都州に移し、単身、粛
宗の霊武の行在所に弄
らんとせしも、途中賊軍
に捕えられ、長安に幽閉
さる。
・756 李白56歳 
永王軍に参加。叛
乱軍鎮圧で立ちあ
がったものの反乱
軍とみなされる。
・756 王維58歳 
隠れていたところを
安禄山軍に捕らえ
られる「菩提寺禁
裴迪来相」
757至徳2 ・正月、安慶緒、安禄山を殺す。2月、粛宗、鳳翔に行在所を進む。永王燐敗れ、李白、蒋陽の獄に繋がる。九月、官軍、長安を回復、十月、洛陽を回復。粛宗、長安に帰る。十二月、玄宗、蜀より長安に帰り、興慶宮に居す。鄭虔・王練ら賊軍に降りしものは貶官さる。
・757 46歳 春、長安
の就中にあり。「春望」。
4月、金光門より逃れ出
て、鳳翔の行在所に奔
る。5月、左拾遺を授けら
る。まもなく、房?の罪を
弁護して、粛宗の怒りに
触る。8月、詔により?州
の家族のもとに帰省を命
ぜらる。家に帰りて病臥
すること数日、「北征」を
作る。11月、長安に帰
る。
・757 李白57歳 
永王軍、敗れ、李
白大逆罪に問わ
れ、尋陽に投獄。
・757 王維59歳 
唐軍長安,洛陽を
奪回。解放される。
 「既蒙宥罪旋復
拝官」
758乾元元 ・2月、載を年と改む。6月、房官、分州刺史に流さる。この年、李白、夜郎に流さる。王之渙、王翰
・758 47歳 春、洛陽よ
り華州に帰る。途中三吏
三別を作る。この年、長
安一帯に飢饉あり、7
月、官を棄て、食を求
め、隴を越えて秦州に赴
く。李白を思う作多し。十
月、同谷の宰の招きに
より、同谷に赴く。貧ま
すます甚だしく、橡栗を
拾い、黄独を掘って生活
す。十二月、険難を冒し
て成都に至り、浣花渓
寺に仮寓す。
・758 李白58歳 
関係者の努力で死
罪を免れ、流罪
に。
・758 王維60歳 
この春、王維(おう
い)、賈至(かし)、岑
参(しんじん)、杜甫
(とほ)、四人の詩
人が中書省と門下
省に揃っており、杜
甫も 生涯で一番
幸福な時期です。
  「和賈舎人早
朝」
759乾元2 ・4月、李白、巫山に至って大赦に遇う。3月、郭子儀ら九節度の軍、安慶緒を相州に囲みて大敗す。洛陽再び反乱軍の手に。9月、忠思明、安慶緒を殺して、大燕皇帝と称す。。
・759 48歳 春、洛陽よ
り華州に帰る。途中三吏
三別を作る。この年、長
安一帯に飢饉あり、7
月、官を棄て、食を求
め、隴を越えて秦州に赴
く。李白を思う作多し。十
月、同谷の宰の招きに
より、同谷に赴く。貧ま
すます甚だしく、橡栗を
拾い、黄独を掘って生活
す。十二月、険難を冒し
て成都に至り、浣花渓
寺に仮寓す。

 王維は太子中允
からすぐに中枢に
もどり、中書舎人
(正五品上)になっ
ています。
760上元元 ・ 7月李輔国ら、玄宗を長安に遷す。・長安で大雨のために飢饉となり、叛乱軍への有効な反撃ができず。
・760 49歳 成都にあ
り。春、西郭の浣花里に
居を卜し、春末、落成
す。秋末、蜀州に至り、
高適と語る。冬、また成
都にあり。
・759 李白59歳 
長江上流白帝山付
近で放免。「早発
白帝城」
・759 王維61歳 
賈至も杜甫も岑参
もほどなく地方に
左遷され、王維だ
けがひとり残され
ましたが、このころ
から終南山の別業
(別荘)に親しむよう
になり、罔川荘は
閉じていました 当
時、長安の南郊、
長安県の香積寺を
を訪れている
761上元2 ・3月、史朝義、史息明を殺す。段子埠、東川に反す。5月、雀光速、子嘩を檎にす。12月、厳武、西川節度使・成都声となる。王維死す。
・761 50歳 草堂に居
す。正月、新津に行き、
二月、成都に帰る。秋、
青城に至り、始めて呉楚
に行かんとの思いを抱
く。冬、高適、成都に至
り、草堂を訪う。

 「終南別業」
762寶応元 ・4月、玄宗・粛宗あいついで崩じ、代宗位に即く。7月、厳武、中央に召還され、高適、成都尹となる。徐知道、謀反をおこし、8月、その部下に殺さる。10月、僕固懐恩、史朝義を破り、洛陽を回復す。この年、李白病没。(62)
・762 51歳 春より夏に
かけて、草堂に居す。厳
武と唱和すること甚だ
密。武、ときに生活を援
助す。7月、武の中央に
召さるるを送り、舟にて
綿州に至り、孝済駅にて
別る。たまたま徐知造反
し、成都に帰るをえず、
梓州に入る。秋末、成都
に帰り、家族を梓州に伴
い帰る。11月、射洪に遊
び、陳子昂の読書堂、
故宅を訪い、ついで通泉
に至りて、郭元振の故
居を訪う
・760 李白60歳 
長江上流と下流の
各地に遊ぶ。
・760 王維62歳 
給事中から尚書右
丞(正四品上)に昇
進 ・飢饉に際し
て、王維は天子の
許しを得て自分の
禄米のほとんどを
窮民に施す。
763広徳元・正月、史
朝義、溢死、安史の
乱終る。8月、房官死
す。9月、高適、吐蕃
を防げず。10月、吐
蕃、長安を陥れ、代
宗、陜州に幸す。郭
子儀、長安を回復
す。王維(63)
・763 52歳 正月、梓
州で、官軍、河南・河北
を収むと聞く。洛陽に帰
郷したいと詠う。。辛員
外を送りて綿州に行き、
梓州に帰り、漢州に行
き、夏、梓州に帰る。初
秋、?州に赴き、秋末、
梓州に帰る。11月、峡を
出て呉楚に遊ばんとし、
弟の占に命じて成都に
帰り草堂の模様を調べ
た。
・761 李白61歳 
宣城を中心に各地
に遊ぶ。
・761 王維63歳 
王維歿す。王縉が
長安の西の鳳翔ま
でもどってきていた
秋七月のある日、
王維は弟に別れの
書をかき、また平
生親しかった人々
へ数篇の別れの書
をかいている途
中、にわかに筆を
落として息絶えた
と伝えられていま
す。享年六十三
歳、王維は弟に会
えないまま、また
彼の人生の最後を
襲った安史の乱の
終息を見ないまま
亡くなりました。
764広徳2・2月、厳
武、再び節度使とし
て成都に来たる。3
月、高適、中央に召
還さる。9月、11月、
厳武、吐蕃を破る。こ
の年、鄭虔・蘇漁明
ともに死す。。
・764 53歳 春初、峡を
出でんとし、家族をたず
さえて梓州より?州に至
る。たまたま朝廷より京
兆功曹参軍に召さるる
も、召に赴かず。二月、
厳武の再び蜀に来たる
と聞き、計画を変更して
成都に赴く。三月、成都
に帰る。六月、厳武の推
薦により、節度参謀・検
校工部員外郎となり、緋
魚袋を賜わる。秋、幕中
にあり、心楽しまず。暇
を乞うて草堂に帰る。弟
頴、斉州に行く。この
年、厳武と唱和すること
もっとも密なり。
・762 李白62歳。
 当塗令李陽冰の
宅で病没。臨終
に、万巻の草稿を
陽冰に託した。
  「 終南山」
765永泰元・正月、王
昌齢(68)、高適(55
位)死す。4月、厳武
死す。9月、吐蕃・回?
入寇す。10月、雀
肝、成都に乱をなす。
・765 54歳 正月、幕
府を辞し、浣花渓に帰
る。春より夏にかけて、
草堂に居す。5月、家族
をたずさえて草堂を離
れ、嘉州、戎州、渝州、
忠州を経て、9月、雲安
に至る。病のためここに
留居す。 「旅夜書懐」


766大暦元
・766 55歳 春、雲安に
あり。暮春、?州に移居
す。初め山中の客堂に
寓し、秋、西閣に移る。?
州都督柏茂林の援助を
受く。この年、旧遊を追
懐する作多し。詩歌の整
理を行った。
 
767大暦2
・767 56歳 菱州にあ
り。春、西閣より赤甲に
移る。三月、?西の草堂
に移し、果園、菜園を営
む。また江北の東屯に
稲田若干あり。弟の観、
長安より至る。秋、収穫
のため暫く東屯にあり。
また東遊の心を動かす。
十月、?州にて李十二娘
の剣器を舞うを見る。こ
の年、病気がちにて、秋
には左耳聾す。
  
768大暦3
 ・768 57歳 正月、?
州を去って峡を出で、3
月、江陵に至る。留まる
こと数月、秋未、公安に
移居す。留まること数
月、歳暮、岳州に至る。
「登岳陽楼」 
     
769大暦4
・769 58歳 正月、岳
州より洞庭湖に入り、湘
江を遡りて、3月、潭州
に至り、さらに南航して
衡州に至る。夏、また渾
州に帰りて、ここに留ま
る。「清明二首」
 
770大暦5・4月、
臧?、潭州に乱をな
す。この年、阿倍仲
麿、在唐38年にて唐
に死す、73歳。岑参
(56)
・770 59歳 春、潭州に
あり。暮春、李亀年に逢
う。4月、乱を避けて衡州
に入る。椰州の舅の雀
偉に僑らんとせしも、莱
陽に至って大水にさまた
げられて果たさず。盛
夏、舟を廻らし、秋、渾
州に至って、暫く留ま
る。嚢陽、洛陽を経て、
長安に帰らんとして、湘
江を下り、冬、渾州と岳
州の間に死す。岳陽に
仮葬す。「風疾舟中伏枕
書懐」臨終の作とされる
 
771大暦6