漢詩(1)杜甫 高胼 |
1.水檻遣心 杜甫 2.江村 杜甫 3.山亭夏日 高駢 |
漢詩(2) 李商隠 |
1.夜雨寄北 2.嫦娥 3.漢宮詞 4.登樂遊原 5.錦瑟 6.瑤池 |
杜甫の年譜 |
0.はじめに 1.青年期 2.長安仕官活動10年 3.仕官と安禄山の乱 4.官辞し乱を避て紀行 5.成都浣花渓草堂 6.南国漂泊 杜甫李白を詠う |
王維ものがたり |
1.生誕から26歳 ● 田園楽 七首 ● もう川集 20首 |
李白ものがたり |
李白詩 李白ものがたり 杜甫を詠う2首と1首 |
王維・李白・杜甫 その時 |
杜甫10歳・李白21歳・王維23歳 杜甫25歳・李白36歳・王維38歳 杜甫35歳・李白46歳・王維48歳 (安史の乱) ●安禄山の叛乱 ●叛乱の背景 |
各時代の概略と詩人 |
2.後漢・三国時代 4.唐時代と詩人 5.宋時代以降 |
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王維・李白・杜甫 |
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共通事項 | ●杜甫の年譜 |
●李白の年譜 |
●王維の年譜 |
697神功元 |
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698聖暦元則天武后 皇帝に |
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699聖暦 2年 699年 |
(699)王維、蒲州に 誕生 |
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700聖暦3年 700年 |
(700)弟、王縉誕生 | ||
701長安元 ・高適生れる。 |
・701 李白西域で 誕生 |
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702長安2、没。突厥入寇 |
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703長安3 ・張説、欽州に流される。 |
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704長安4 ・則天武后、病臥。 |
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705神竜元 ・則天武后没。中宗 即位。 |
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706神竜2 ・十道巡察使をおく。突厥入寇 |
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707景竜元 ・3月、吐蕃入貢。 |
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708景竜2 |
・708 杜甫の祖父、杜 審言60歳没。 |
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709景竜3 ・顔真卿、生まれる。 |
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710景雲元・玄宗、中宗毒殺、父の睿宗即位 |
・710 李白10歳 詩書に通じ、百家 を読む |
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711景雲2 ・王翰、進士に及第。 ・十道按察使をおく。 玄宗がクーデター起す |
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712先天元年 712年・景雲三年正月、太極と改元、五月、延和と改元。八月、玄宗即位先天と改元。 |
・712河南肇県で誕生。 父は閑、母は雀氏。父 方祖父は高級官僚。父 は地方の役人をした.母 方の祖母は政変で没落 した、宗家の血筋であっ た |
712 王維14歳 | |
713開元元 ・十二月、開元。張説、中書令となる。 |
・713 王維15歳 長安に上がる。ど こかの寺の宿坊に 滞在して勉学に励 んでいた「題友人 雲母障子」 |
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714開元2 正月、教坊を蓬莱宮側におき、玄宗みずから法曲を教授す、これを梨園の弟子という。 沈?期、没。 |
・714 王維16歳 「過秦始皇墓」王 維、琵琶で玄宗の 弟岐王に寵愛を受 け長安で流行児 |
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715開元3 ・岑參、生まれる。 |
・715 李白 15歳 ・剣術を好み、奇 書を読み、賦をつく る。 |
715 王維17歳 長安の予備試験。 主席合格。「九月 九日憶山東兄弟」 王維 19歳 「息夫人」 |
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716開元4 ・蘇廷、宰相となる。睿宗、没。 |
・716 母崔氏が四歳の ころには亡くなる。すぐ、 継母が来るが人物不明 |
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717開元5 ・阿倍仲麿、入唐。黄河氾濫。 |
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718開元6 ・718 賈至生まる。吐蕃、和を請う。 |
・718 7歳 始めて詩文 をつくる。 |
・718 李白18歳 載天山に隠れる。 |
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・719 8歳 叔母二姑 (アルクー)に預けられ、 洛陽城内の仁風里で育 つ |
・719 李白19歳 豪放で恬淡な生 活。任侠徒に加わ り殺傷させる。 |
・719 王維21歳 進士及第。太楽丞 任官。 |
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720開元8 孟浩然、李白、王推ともに22,23歳。 |
・720 9歳 始めて大字 を習う。 |
・720 李白蘇廷に 認められる。 |
・720 王維22歳 済州に左遷。足か け6年 |
721開元9 |
杜甫 10歳 | ・721 李白21歳成 都、峨眉山に遊 ぶ。 |
王維 23歳 済 州 |
722開元10 ・兵農分化始まり、募兵し宿衛に充てる。 |
・722 李白22歳岷 山に隠れる。小鳥 を懐ける。 科挙試 験に推挙されたが 拒否 |
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723開元11 ・張説、中書令となる |
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725開元13 ・11月、玄宗、泰山に封禅の礼を行う。 |
・725 14歳 文人仲間 に入る。李亀年の歌を聴 く。 |
・725 李白25蜀を 発。江陵、洞庭湖 など巡る。「峨眉山 月歌」 |
・725 王維27歳ま で 済州にいた。 |
726開元14 ・ 厳武、生まれる。 |
(17・18歳頃) | ・726 王維28歳 春に、王維は文陽 の人に別れを告げ て蒲州に帰り、暫く 滞在し、長安に上 る。蜀への転勤を 命ぜらる。 |
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727開元15 ・ 蘇廷没。 王昌齢、進士及第。 |
・727 李白27歳 友人呉指南と、楚 に遊ぶ。 |
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728開元16開元16年728年 ・ 7月吐蕃破る。 |
・728 王維30歳 洛陽方面の地方 官、洛陽付近を 転々とす。文陽の 人と暮らす。 |
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729開元17開元17年729年 |
・729 洛陽の盛り場に 出入りする |
・729 王維31歳 洛陽方面の地方 官、洛陽付近を 転々とす。宋之問 の旧別荘を購入。 「罔川閑居」「田園 楽七首」 |
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730開元18 ・張説(64)没。 |
・730 19歳晋(山西)に 遊び、呉暇に至る。 |
・730 李白30歳前 後2〜3年長安地 方に滞在。 |
・730 王維32歳 洛陽方面の地方官 |
・731 20歳 呉越(江 蘇・浙江)に遊ぶ。 |
・731 王維33歳 妻「文陽の人」死 す。 |
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732開元20・唐、奚・契丹を破る。六月花蕚楼を広げ、夾城を築き後芙蓉園となる。 |
・732 21歳 呉越(江 蘇・浙江)に遊ぶ。 |
・732 李白32歳 安陸で許幸師の孫 と結婚 |
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733開元21・11月、宋環、辞職す。天下を15道に分け、采訪使をおく。 |
・733 22歳 呉越(江 蘇・浙江)に遊ぶ。 |
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・734 23歳 呉越(江 蘇・浙江)に遊ぶ。鞏県 で郷試(ごうし)を受けて 及第。 |
・734 王維36歳 妻の三年の喪があ けると、張九齢を頼 って再び官途につ く運動をはじめる。 張九齢王維を右拾 遺に抜擢 |
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735開元23・寿王、楊氏を妃とす。 賈至、進士及第。 |
・735 24歳 呉越より洛 陽に帰り、進士の試験 に応ずるも及第せず |
・735 李白35歳 太原に遊ぶ。「太 原早秋」 |
・735 王維37歳 張九齢は王維を自 分の部下として重 用 |
・736 25歳 斉趙(山 東・河北)に遊び、蘇源 明と交わる。龍門の奉 先寺を訪ねる 「遊龍門 奉先寺」前代風秀作。 |
李白 36歳 太原 | ・736 王維38歳 母崔氏の一族で崔 希逸が河西節度副 使で涼州(甘粛省 武威県)に使府を 置。その幕僚に辟 召され、涼州へ。 「寄荊州張丞相 (所思竟何在)」 |
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737開元25・4月、張九齢、刑州に流さる。李林甫,台頭。 |
・737 26歳 蘇預ととも に斉趙に遊ぷ。蘇預(の ち源明)は生涯の友とな る。 |
・737 王維39歳 ・涼州にあり 「涼州郊外遊望 (野老才三戸) 」 |
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738開元26・3月、唐軍、吐蕃を破る。6月、唐草、契丹を大いに破る。 |
・738 27歳 斉趙に遊 ぷ。 |
738 王維40歳 ・涼州にあり 「出塞作(居延城 外猟天驕)」 |
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739開元27 ・8月、唐軍、突蕨に大勝す。李林甫、吏部尚書となり、中書令を兼ねる。 |
・739 28歳 斉趙に遊 ぷ。 |
・739 王維41歳 長安帰るが、陝西 北部へ視察・派遣 |
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740開元28 ・この年、五穀豊かに稔り、米価は斗二百に満たず、天下、泰平を謳歌す。張九齢・孟浩然死す。 |
・740 29歳 斉趙に遊 ぷ。 泰山を詠う。名作 「望嶽」を作る |
・740 李白40歳 山東に遊ぶ。酒 びたりの生活。 |
・740 王維42歳 殿中侍御史とし て、南方へ出張。 親友孟浩然と再会 したが、帰り寄ると 死去していた。罔 川荘本格的に、経 営。 「哭孟浩然 (故人不可見)」 |
・741 30歳 洛陽に帰 り、陸渾荘を築く。「お ば」が亡くなり、寒食日 に遠祖杜預を祭る。妻を 迎えた?(女性の影) |
・741 王維43歳 中書省の右補闕に 任ぜらる。 「登辨 覚寺(竹径従初 地)」 |
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742天宝元 ・李白、会稽より長安に来たる。安禄山、平鹿節度使となる。 |
・742 31歳 洛陽にあ り。就職活動、題画詩 「畫鷹」 「夜宴左氏荘」 |
・742 李白42歳 玄宗の妹の推薦で 長安に。太子賓 客、賀知章に認め られ、翰林供奉に 任ぜられる。 |
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・743 32歳 洛陽にあ り。士官活動。 |
・743 李白43歳 長安で飲中八仙の 遊びを楽しむ。宮 廷で宦官の高力士 を辱めた。 |
王維は生涯に多く の「送別」の詩を作 っていますが、ほと んどの作品が制作 年次不明です。ま た、天宝三載(744) ころから八年間ほ どの王維の伝記は ほとんどわかりま せん。作詩期不明 なもの多くはこの 時期ではないか。 |
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744天宝3 ・正月、年を改めて載となす。賀知章、長安を去り、没(86)。岑參、進士及第。李白、翰林院に出仕す。三月、安禄山、抱陽節度使を兼ぬ。寿王妃楊氏、大兵と号して宮中に召さる。李白、金を賜わりて長安を追わる。 |
・744 33歳 洛陽にあ り。夏、初めて李白と遇 う。秋、梁宋(河南)に遊 び、李白・高適と吹台・ 琴台に登り、河を渡って 玉屋山に遊ぶ。 |
・744 李白44歳 長安を放遂。杜 甫、高適と初めて 交わる。 |
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745天宝4・8月、大兵を貴妃となし、その三姉、第宅を賜わる。この年、李白、山東に在り、冬、江東に去る。 安禄山、契丹を破る。 |
・745 34歳 再び斉魯 に遊ぷ。済州にて大守 李邑の宴にあずかる。 秋、えん州に至る。時に 李白もまた来たり、とも に遊ぷ、友情ますます 密。いくばくもなく城東の 石門にて別れ、ついに 復た会わず。李白は道 士入門、修行を終え、魯 郡の「魯の婦人」と一緒 になる。 |
・745 李白45歳 秋。杜甫と別れる。 道士入門、修行を 終え、魯郡の「魯 の婦人」と一緒に なる。 |
・745 「送元二使 安西」 |
・746 35歳 斉魯より長 安に帰る。汝陽王・鮒鳥 鄭潜擢に従って遊ぶ。 |
李白 46歳 | 王維 48歳 | |
747天宝6 天下に詔して、一芸に通ずるものを長安に集めて試験す。李林甫、文学の士を嫌い、みなこれを落とす。正月、李邑殺さる。10月、温泉宮を改めて華清宮となし、その規模を拡大す。李林甫、権威を嵩に獄死者多数。 |
・747 36歳 長安にあ り。天子の詔に応じて、 試験に応ぜしも及第せ ず。結婚ともに晩婚。妻 の家柄がよい。杜甫35 歳、妻25歳。 |
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748天宝7 ・10月、貴妃の三姉、国夫人に封ぜらる。 |
・748 37歳 長安にあ り。しばしば韋済に詩を 贈り、引き立てられんこ とを求む。 |
・748 王維「山居 秋暝(空山新雨 後)」 |
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749天宝8 ・哥舒翰、吐蕃を破る。・府兵制の崩壊、折衝府軍の形骸化。 |
・749 38歳 長安にあ り。冬、洛陽に帰り、玄 元皇帝の廟に参る。 |
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750天宝9 ・5月安禄山、東平郡王に封ぜらる。7月広文館を置き、鄭虔を博士となす。 |
・750 39歳 長安に来 たり、初めて鮮度に遇 う。長子宗文生まる。家 族4人。 「兵車行」 |
・750 王維52歳 母崔氏、死去。享 年七十歳 |
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・751 40歳 長安にあ り。三大礼賦を献ず。玄 宗これを奇とし、命じて 制を集賢院に待たしむ。 秋、瘧を病む。「貧交行」 |
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752天宝11 ・11月宰相李林甫(65歳位)が病死、楊国息、右相となる。、18年間の圧制も今度は楊貴妃一族に取って代わる。 |
・752 41歳 長安にあ り。召されて文章を試 み、有司に送り隷して選 序に参列せしめらる。暮 春、しばらく洛陽に帰 る。冬、長安にて岑参、 高適、儲光羲と交わる。 「同諸公登慈恩寺塔」 「麗人行」 |
・楊国忠が宰相に なって安史の乱が 起こる755年11月 までの三年間は、 楊貴妃一族が謳歌 した時代です。 |
・752 王維54歳 文部郎中(従五品 上)に任ぜられる 王維 「送秘書晁 監還日本国」 |
753天宝12 ・8月、長安に長雨あり、米穀騰貴す。 |
・753 42歳 長安にあ り。夏初、鄭虔と何将軍 の山林に遊ぷ。父の 死。秋、次子宗武生ま る。家族10人。 |
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・754 43歳 長安にあ り。封西岳賦を献ず。洛 陽より家族を移し、城南 に居住す。夏日照り、 秋、長雨あり、物価騰貴 し、生計ますます苦しく、 ついに家族を奉先にあ ずく。 |
・754 李白54歳 広陵で遊ぶ。 |
・754 56歳 ・罔 川集・罔川荘 ほ ぼ完成す。 約 10年かかって整備 してきた。 05 「鹿柴」 13「欒家 瀬」 17「竹里館」 |
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755天宝14 ・11月初 安禄山叛乱、河北を占領す。12月、洛陽を陥る。哥舒翰、兵馬副元帥となり、潼関を守る。 |
・755 44歳 長安にあ り。白水に舅の雀十九 翁を訪う。十月、長安に 帰る。河西の尉を授けら れしも受けず、改めて右 衛率府胃管参軍に任ぜ らる。十一月、また奉先 の妻子を訪い、京より奉 先県に赴き懐を詠ず五 百字を作る。歳暮、幼子 を失う。 |
・755 李白55歳 盧山に隠棲。 |
王維:罔川荘はそ の間に完成間じか でした。王維の収 入はすべて罔川荘 の経営に注ぎこま れたものと思われ ます。 |
・756 45歳 春、長安に あり。五月、難を避けて 奉先に至り、家族をたず さえて白水に赴き、舅の 雀氏に寄る。六月、家族 を都州に移し、単身、粛 宗の霊武の行在所に弄 らんとせしも、途中賊軍 に捕えられ、長安に幽閉 さる。 |
・756 李白56歳 永王軍に参加。叛 乱軍鎮圧で立ちあ がったものの反乱 軍とみなされる。 |
・756 王維58歳 隠れていたところを 安禄山軍に捕らえ られる「菩提寺禁 裴迪来相」 |
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757至徳2 ・正月、安慶緒、安禄山を殺す。2月、粛宗、鳳翔に行在所を進む。永王燐敗れ、李白、蒋陽の獄に繋がる。九月、官軍、長安を回復、十月、洛陽を回復。粛宗、長安に帰る。十二月、玄宗、蜀より長安に帰り、興慶宮に居す。鄭虔・王練ら賊軍に降りしものは貶官さる。 |
・757 46歳 春、長安 の就中にあり。「春望」。 4月、金光門より逃れ出 て、鳳翔の行在所に奔 る。5月、左拾遺を授けら る。まもなく、房?の罪を 弁護して、粛宗の怒りに 触る。8月、詔により?州 の家族のもとに帰省を命 ぜらる。家に帰りて病臥 すること数日、「北征」を 作る。11月、長安に帰 る。 |
・757 李白57歳 永王軍、敗れ、李 白大逆罪に問わ れ、尋陽に投獄。 |
・757 王維59歳 唐軍長安,洛陽を 奪回。解放される。 「既蒙宥罪旋復 拝官」 |
758乾元元 ・2月、載を年と改む。6月、房官、分州刺史に流さる。この年、李白、夜郎に流さる。王之渙、王翰 |
・758 47歳 春、洛陽よ り華州に帰る。途中三吏 三別を作る。この年、長 安一帯に飢饉あり、7 月、官を棄て、食を求 め、隴を越えて秦州に赴 く。李白を思う作多し。十 月、同谷の宰の招きに より、同谷に赴く。貧ま すます甚だしく、橡栗を 拾い、黄独を掘って生活 す。十二月、険難を冒し て成都に至り、浣花渓 寺に仮寓す。 |
・758 李白58歳 関係者の努力で死 罪を免れ、流罪 に。 |
・758 王維60歳 この春、王維(おう い)、賈至(かし)、岑 参(しんじん)、杜甫 (とほ)、四人の詩 人が中書省と門下 省に揃っており、杜 甫も 生涯で一番 幸福な時期です。 「和賈舎人早 朝」 |
759乾元2 ・4月、李白、巫山に至って大赦に遇う。3月、郭子儀ら九節度の軍、安慶緒を相州に囲みて大敗す。洛陽再び反乱軍の手に。9月、忠思明、安慶緒を殺して、大燕皇帝と称す。。 |
・759 48歳 春、洛陽よ り華州に帰る。途中三吏 三別を作る。この年、長 安一帯に飢饉あり、7 月、官を棄て、食を求 め、隴を越えて秦州に赴 く。李白を思う作多し。十 月、同谷の宰の招きに より、同谷に赴く。貧ま すます甚だしく、橡栗を 拾い、黄独を掘って生活 す。十二月、険難を冒し て成都に至り、浣花渓 寺に仮寓す。 |
王維は太子中允 からすぐに中枢に もどり、中書舎人 (正五品上)になっ ています。 |
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760上元元 ・ 7月李輔国ら、玄宗を長安に遷す。・長安で大雨のために飢饉となり、叛乱軍への有効な反撃ができず。 |
・760 49歳 成都にあ り。春、西郭の浣花里に 居を卜し、春末、落成 す。秋末、蜀州に至り、 高適と語る。冬、また成 都にあり。 |
・759 李白59歳 長江上流白帝山付 近で放免。「早発 白帝城」 |
・759 王維61歳 賈至も杜甫も岑参 もほどなく地方に 左遷され、王維だ けがひとり残され ましたが、このころ から終南山の別業 (別荘)に親しむよう になり、罔川荘は 閉じていました 当 時、長安の南郊、 長安県の香積寺を を訪れている |
・761 50歳 草堂に居 す。正月、新津に行き、 二月、成都に帰る。秋、 青城に至り、始めて呉楚 に行かんとの思いを抱 く。冬、高適、成都に至 り、草堂を訪う。 |
「終南別業」 | ||
762寶応元 ・4月、玄宗・粛宗あいついで崩じ、代宗位に即く。7月、厳武、中央に召還され、高適、成都尹となる。徐知道、謀反をおこし、8月、その部下に殺さる。10月、僕固懐恩、史朝義を破り、洛陽を回復す。この年、李白病没。(62) |
・762 51歳 春より夏に かけて、草堂に居す。厳 武と唱和すること甚だ 密。武、ときに生活を援 助す。7月、武の中央に 召さるるを送り、舟にて 綿州に至り、孝済駅にて 別る。たまたま徐知造反 し、成都に帰るをえず、 梓州に入る。秋末、成都 に帰り、家族を梓州に伴 い帰る。11月、射洪に遊 び、陳子昂の読書堂、 故宅を訪い、ついで通泉 に至りて、郭元振の故 居を訪う |
・760 李白60歳 長江上流と下流の 各地に遊ぶ。 |
・760 王維62歳 給事中から尚書右 丞(正四品上)に昇 進 ・飢饉に際し て、王維は天子の 許しを得て自分の 禄米のほとんどを 窮民に施す。 |
763広徳元・正月、史 朝義、溢死、安史の 乱終る。8月、房官死 す。9月、高適、吐蕃 を防げず。10月、吐 蕃、長安を陥れ、代 宗、陜州に幸す。郭 子儀、長安を回復 す。王維(63) |
・763 52歳 正月、梓 州で、官軍、河南・河北 を収むと聞く。洛陽に帰 郷したいと詠う。。辛員 外を送りて綿州に行き、 梓州に帰り、漢州に行 き、夏、梓州に帰る。初 秋、?州に赴き、秋末、 梓州に帰る。11月、峡を 出て呉楚に遊ばんとし、 弟の占に命じて成都に 帰り草堂の模様を調べ た。 |
・761 李白61歳 宣城を中心に各地 に遊ぶ。 |
・761 王維63歳 王維歿す。王縉が 長安の西の鳳翔ま でもどってきていた 秋七月のある日、 王維は弟に別れの 書をかき、また平 生親しかった人々 へ数篇の別れの書 をかいている途 中、にわかに筆を 落として息絶えた と伝えられていま す。享年六十三 歳、王維は弟に会 えないまま、また 彼の人生の最後を 襲った安史の乱の 終息を見ないまま 亡くなりました。 |
764広徳2・2月、厳 武、再び節度使とし て成都に来たる。3 月、高適、中央に召 還さる。9月、11月、 厳武、吐蕃を破る。こ の年、鄭虔・蘇漁明 ともに死す。。 |
・764 53歳 春初、峡を 出でんとし、家族をたず さえて梓州より?州に至 る。たまたま朝廷より京 兆功曹参軍に召さるる も、召に赴かず。二月、 厳武の再び蜀に来たる と聞き、計画を変更して 成都に赴く。三月、成都 に帰る。六月、厳武の推 薦により、節度参謀・検 校工部員外郎となり、緋 魚袋を賜わる。秋、幕中 にあり、心楽しまず。暇 を乞うて草堂に帰る。弟 頴、斉州に行く。この 年、厳武と唱和すること もっとも密なり。 |
・762 李白62歳。 当塗令李陽冰の 宅で病没。臨終 に、万巻の草稿を 陽冰に託した。 |
「 終南山」 |
765永泰元・正月、王 昌齢(68)、高適(55 位)死す。4月、厳武 死す。9月、吐蕃・回? 入寇す。10月、雀 肝、成都に乱をなす。 |
・765 54歳 正月、幕 府を辞し、浣花渓に帰 る。春より夏にかけて、 草堂に居す。5月、家族 をたずさえて草堂を離 れ、嘉州、戎州、渝州、 忠州を経て、9月、雲安 に至る。病のためここに 留居す。 「旅夜書懐」 |
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・766 55歳 春、雲安に あり。暮春、?州に移居 す。初め山中の客堂に 寓し、秋、西閣に移る。? 州都督柏茂林の援助を 受く。この年、旧遊を追 懐する作多し。詩歌の整 理を行った。 |
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767大暦2 |
・767 56歳 菱州にあ り。春、西閣より赤甲に 移る。三月、?西の草堂 に移し、果園、菜園を営 む。また江北の東屯に 稲田若干あり。弟の観、 長安より至る。秋、収穫 のため暫く東屯にあり。 また東遊の心を動かす。 十月、?州にて李十二娘 の剣器を舞うを見る。こ の年、病気がちにて、秋 には左耳聾す。 |
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768大暦3 |
・768 57歳 正月、? 州を去って峡を出で、3 月、江陵に至る。留まる こと数月、秋未、公安に 移居す。留まること数 月、歳暮、岳州に至る。 「登岳陽楼」 |
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769大暦4 |
・769 58歳 正月、岳 州より洞庭湖に入り、湘 江を遡りて、3月、潭州 に至り、さらに南航して 衡州に至る。夏、また渾 州に帰りて、ここに留ま る。「清明二首」 |
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770大暦5・4月、 臧?、潭州に乱をな す。この年、阿倍仲 麿、在唐38年にて唐 に死す、73歳。岑参 (56) |
・770 59歳 春、潭州に あり。暮春、李亀年に逢 う。4月、乱を避けて衡州 に入る。椰州の舅の雀 偉に僑らんとせしも、莱 陽に至って大水にさまた げられて果たさず。盛 夏、舟を廻らし、秋、渾 州に至って、暫く留ま る。嚢陽、洛陽を経て、 長安に帰らんとして、湘 江を下り、冬、渾州と岳 州の間に死す。岳陽に 仮葬す。「風疾舟中伏枕 書懐」臨終の作とされる |
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771大暦6 |