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孟  浩  然
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盛唐の詩人。王維とともに「王孟」と並称され、山水自然派の詩人として知られるが、王維が自然の静的な面を客観的に歌うのに比して、より主観的に、自然を人間に親しいものとしてとらえる傾向を持つ。「春眠暁(あかつき)を覚えず」など、日本でも著名な作品が多い。襄陽出身。諱は浩、浩然は字。鹿門山に隠棲し、40才頃に進士に応じて落第し、王維との親交によって玄宗に謁見しながらも、「不才にして明主に棄てられ…」の句で官途を失い、郷里に隠棲した。襄陽長史に遷された張九齢の幕下に加わり、致仕後は江南を巡って王昌齢とも親交したが、まもなく襄陽で病死した。
 盛唐期にあって王維らとともに田園詩人群を形成し、王維とともに後の韋応物・柳宗元と併称される。ともに山水美を訴求しながら、王維の客観的・傍観的・静的態度と異なり、主観的・親近的・動的追及を旨とし、特に『春暁』は人口に膾炙している。

1. 春曉(春眠不覺曉)
2. 留別王侍御維(寂寂竟何待)
3. 送杜十四之江南(荊呉相接水爲ク)
4. 送朱大入秦(遊人五陵去)
5. 望洞庭湖贈張丞相(八月湖水平)
6 宿桐廬江寄廣陵舊遊
7. 過故人莊(故人具鷄黍)
8. 送友入京(君登青雲去)
9. 歳暮帰南山(北闕休上書)
10. 夏日辮玉法師茅齋
11. 宿建徳江
12. 悪顔銭塘登二選 『望潮』 作
13. 下層石


・若年は郷里の鹿門(ろくもん)山に隠棲(いんせい)。
・40歳ごろ初めて長安に出、王維(おうい)、張九齢(ちょうきゅうれい)らと交際してその才能を認められたが、科挙には及第せず、郷里へ帰った。
・のち荊州(けいしゅう)(湖北省)の長史に左遷された張九齢に招かれてその幕僚となったが、ほどなく辞任し、一生を不遇のうちに過ごした。
・王維とともに「王孟」と並称され、山水自然派の詩人として知られるが、王維が自然の静的な面を客観的に歌うのに比して、より主観的に、自然を人間に親しいものとしてとらえる傾向をもつ。

 若い頃から各地を放浪し、義侠の振る舞いで人々と交流した。また後漢の?徳公や皮日休ゆかりの鹿門山(襄樊市)に隠棲したこともあった。玄宗の世となってから長安に赴き仕官しようとするが、科挙に及第していないのでかなわなかった。しかし、孟浩然を気に入った韓朝宗との約束を、飲み会のためにすっぽかして朝廷への推薦をだめにしたり、王維の取り成しで玄宗皇帝の前に出ても不平不満を詩にして玄宗皇帝を怒らせる(歳暮帰南山)など、立身出世には関心が薄かったようにもみえる。

 孟浩然の詩は広く知れ渡り、王維・李白・張九齢らと親しく交際した(李白には「黄鶴樓送孟浩然之廣陵」という作品がある)。740年、背中にできものがあって調子の悪かった孟浩然は、訪ねてきた王昌齢を歓待するあまり容態が悪化して亡くなった。

 
 山水田園詩人・自然詩人としての孟浩然とその自然描写の作品に対する、我が国における代表的な評価を確認しておきたい。我が国のものとしては、まず、小川環樹氏の評価を取り上げるべきであろう。小川氏は、王維と孟浩然とを比較し、王維が傍観者としての態度をもちつづけ、政治に対してのみならず、風景を歌うにも遠景を愛するのに」対して、孟浩然は「より情熱的な詩人」であるとし、「孟浩然の目をとおした自然はもっと人間に親近したものなのである。」とする。また、「孟浩然の詩中の風物は活動的であり、王維のはいつそう静止的だといえるだろうか。王維には枯れさびた色相があり、孟には明朗な気分があることにもなる。」とも言う。小川氏は、このように、孟浩然詩の特徴として情熱性・活動性・明朗さを指摘しており、またそれは妥当であると考えられる。

209 孟浩然



2. 留別王侍御維    孟浩然
寂寂竟何待,朝朝空自歸。
欲尋芳草去,惜與故人違。
當路誰相假,知音世所稀。
祗應守索寞,還掩故園扉。

王侍御維に留別す      
寂寂(せきせき) 竟(つい)に何をか待たん,
朝朝(ちょうちょう) 空しく自みづから歸る。
芳草(ほうそう)を 尋たづねんと欲ほっして去り,
惜(おし)むらくは  故人と違(た)がう。
當路(とうろ) 誰たれか 相(あひ)假(か)りん,
知音 (ちいん)  世に稀まれなる所。
祗(ただ)應(まさ)に 索寞(さくばく)を守り,
還また  故園の扉を掩(おお)うべし。

王維侍御に詩を書き残して別れ行く。 (就職活動で挫折して、不本意なまま郷里に帰っていく時の詩になろう。)
ひっそりとして何の音沙汰もなく、この上何を待っているのか、毎朝いつも、むなしく自分から決着をつけている。
(この上は、)芳(かぐわ)しい草(の咲くところ)を尋(たず)ねて隠棲したく、残念なことだが、古くからの友人(王維)と別れることとなった。
重要な地位についている者の誰に頼っていこうか。(あなた(=王維)ぐらいのものだ。)真実の理解者は、世に稀(まれ)なものだ。
ただ、侘(わ)び・寂(さ)び(?!)の気持ちを固守して。ふたたび、故郷の隠遁した家の扉を閉ざすことにしよう。


留別王侍御維:王維侍御に詩を書き残して別れ行く。 *就職活動で挫折して、不本意なまま郷里に帰っていく時の詩になろう。 ・留別:旅立つ人が詩を書き残して別れる。とどまる人へのいとまごいの詩を作る。「送別」の対義語。 ・王侍御維:侍御の官位にある王維。〔姓+官職+名〕と表現する。王維侍御。 ・侍御:天子の側に仕える官。
寂寂竟何待:ひっそりとして何の音沙汰もなく、この上何を待っているのか。 ・寂寂:ひっそりとして寂しい。 ・竟:〔きゃう;jing4●〕ついに。とうとう。 ・何:何をか。反問、反語の語気。 ・待:まつ。待機する。
朝朝空自歸:毎朝いつも、むなしく自分から決着をつけている。 ・朝朝:毎朝。朝朝には白居易の『長恨歌』に「聖主朝朝暮暮情」楚の襄王が巫山で夢に神女と契った時、神女は朝は巫山の雲となり夕べには雨になるといった故事がある。宋玉『高唐賦』によると、楚の襄王と宋玉が雲夢の台に遊び、高唐の観を望んだところ、雲気(雲というよりも濃い水蒸気のガスに近いもの)があったので、宋玉は「朝雲」と言った。襄王がそのわけを尋ねると、宋玉は「昔者先王嘗游高唐,怠而晝寢,夢見一婦人…去而辭曰:妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨,朝朝暮暮,陽臺之下。」と答えた。「巫山之夢」に基づく。後世、宋・秦觀は『鵲橋仙』「纖雲弄巧,飛星傳恨,銀漢迢迢暗度,金風玉露一相逢,便勝卻人間無數。   柔情似水,佳期如夢,忍顧鵲橋歸路,兩情若是長久時,又豈在朝朝暮暮。」とあるが関係があろうか。 ・空:いたずらに。むなしく。 ・自歸:自分で結末をつける。自分から諦めて帰る意か。不明。
欲尋芳草去:(この上は、)芳(かぐわ)しい草(の咲くところ)を尋(たず)ねて隠棲したく。 ・欲:…たい。…う。 ・尋:訪問する。たずねる。 ・芳草:よいかおりのする草。春の草。 ・尋…去:…を訪問しに行く。
惜與故人違:残念なことだが、古くからの友人(王維)と別れることとなった。 ・惜:残念な(ことには)。惜しい(ことには)。 ・與:…と。 ・故人:古くからの友だち。旧友。ここでは、王維を指す。 ・違:離れる。遠ざかる。去る。
當路誰相假:重要な地位についている者の誰に頼っていこうか。(あなた(=王維)ぐらいのものだ。) ・當路:重要な地位についている者。要路にいる者。 ・相:…ていく。 ・假:借りる。よる。請う。
知音世所稀:真実の理解者は、世に稀(まれ)なものだ。 ・知音:知己。自分の琴の演奏の良さを理解していくれる親友のこと。伯牙は琴を能くしたが、鐘子期はその琴の音によって、伯牙の心を見抜いたという。転じて自分を理解してくれる知人。宋・岳飛の『小重山』「昨夜寒蛩不住鳴,驚回千里夢。已三更。起來獨自遶階行,人 悄悄 ,簾外月朧明。   白首爲功名,舊山松竹老,阻歸程。欲將心事付瑤琴,知音少, 絃斷有誰聽。」とある。秋瑾の『鷓鴣天』「祖國沈淪感不禁,閑來海外覓知音。金甌已缺總須補,爲國犠牲敢惜身。   嗟險阻,嘆飄零,關山萬里作雄行。休言女子非英物,夜夜龍泉壁上鳴!」などがある。『漢書・列傳・卷九十七上・外戚傳上』「孝武李夫人,本以倡進。初,夫人兄延年性知音,善歌舞,武帝愛之。毎爲新聲變曲,聞者莫不感動。延年侍上起舞,歌曰:『北方有佳人,絶世而獨立,一顧傾人城,再顧傾人國。寧不知傾城與傾國,佳人難再得。』上嘆息曰:『善。世豈有此人乎。』平陽主因言延年有女弟,上乃召見之,實妙麗善舞。由是得幸。」とあるのは、やや意味が異なる。 ・所-:…(とする)ところ。動詞などに附いて、名詞化するする働きをする。 ・稀:まれ(だ)。 祗應守索寞:ただ、侘(わ)び・寂(さ)び(?!)の気持ちを固守して。 ・祗應:ただ…だけだろう。ただまさに。ちょうど…だろう。=只應。唐・白居易の『五年秋病後獨宿香山寺三絶句』其二に「飮徒歌伴今何在,雨散雲飛盡不迴。 從此香山風月夜, 祗應長是一身來。 」とあり、同・白居易の『一字至七字詩』「詩。綺美,?奇。明月夜,落花時。能助歡笑,亦傷別離。調清金石怨,吟苦鬼~悲。天下只應我愛,世間唯有君知。自從都尉別蘇句,便到司空送白辭。とあり、両宋・辛棄疾の『鷓鴣天』「送人」に「唱徹陽關涙未乾,功名餘事且加餐。浮天水送無窮樹,帶雨雲埋一半山。   今古恨,幾千般,只應離合是悲歡?江頭未是風波惡,別有人間行路難。」とある。韋荘の『菩薩蠻』には「人人盡説江南好,遊人只合江南老。春水碧於天,畫船聽雨眠。   爐邊人似月,皓腕凝雙雪。未老莫還ク,還ク須斷腸。」とする。 ・祗:只(ただ)。 ・應:当然…であろう。まさに…べし。 ・守:固持する。 ・索寞:失意のさま。もの寂しいさま。
還掩故園扉:ふたたび、故郷の隠遁した家の扉を閉ざすことにしよう。 ・還:また。なおもまた。 ・掩:閉じる。 ・故園:故郷。現・湖北省襄陽の鹿門山。 ・扉:とびら。開き戸。ここでは柴扉のことで、粗末な隠居所の扉の意になる。 ・掩…扉:トビラを閉ざして(浮き世との交渉を断つ)。


孟浩然


210 3. 送杜十四之江南      
荊呉相接水爲ク,
君去春江正E茫。
日暮弧舟何處泊,
天涯一望斷人膓。

杜十四の 江南に 之(ゆ)くを 送る       
荊呉(けいご) 相ひ接して  水 クと爲す,
君 去りて 春江  正に E茫(べうばう)。
日暮 弧舟 何(いづ)れの處にか 泊する,
天涯 一望  人の膓(はらわた)を 斷つ。


荊の地方と呉の地方とは、接していて、水郷となっている、あなたが(これから)ゆく春の川は、ちょうど水が広々と拡がっている。
日が暮れると、一つだけ旅する小舟はどこに泊(とま)ることになるのだろうか、空のはてまでを見渡すと、断腸の思いがする。

解説
送杜十四之江南: 杜家の十四男が江南方面赴任に対しての詩。
*この詩のイメージは同時代人の李白『黄鶴樓送孟浩然之廣陵』「故人西辭黄鶴樓,煙花三月下揚州。孤帆遠影碧空盡,惟見長江天際流。」に似ている。・送:見送る。 ・杜十四:杜家の十四男。十四は排行。 ・之:行く。≒行。 ・江南:長江下流以南の地。
荊呉相接水爲ク:荊の地方と呉の地方とは、接していて、水郷となっている。 ・荊呉:〔けいご〕荊は楚の国の別名。現在の湖北、湖南省あたり。呉は現在の江蘇省。 ・相接:つながっている。 ・爲ク:里とする。くにとなる。水郷となる。 ・水爲ク:水郷となっている。
君去春江正E茫:あなたが(これから)ゆく春の川は、ちょうど水が広々と拡がっている。 ・君去:言うまでもないことを書いて恐縮だが、ここの「去りて(去って)」と訓むところの「…て」は、国語の口語文法の完了の助動詞ではない。 ・春江:春の川(の流れ)。 ・正:ちょうど。 ・E茫:〔びょうぼう〕水の広々としたさま。≒渺茫。
日暮弧舟何處泊:日が暮れると、一つだけ旅する小舟はどこに泊(とま)ることになるのだろうか。 ・日暮:日が暮れる。日暮れ。両義あり。ここでは前者の意。 ・弧舟:ぽつんと一つだけある小舟。一人旅や、ひとりぼっちの人生をも謂う。 ・何處:どこ。 ・泊:〔はく〕とまる。(船を)船着き場にとめる。
天涯一望斷人膓:空のはてまでを見渡すと、断腸の思いがする。 ・天涯:〔てんがい;tian1ya2○○〕空のはて。 ・一望:広い眺めを一目で見渡すこと。 ・斷人膓:断腸の思いをさせる。「斷人膓」という構文は使役表現に近い働きを持つ。






210 4. 送朱大入秦   孟浩然
遊人五陵去,寶劍直千金。
分手脱相贈,平生一片心。

朱大の秦に入るを 送る
遊人  五陵に 去る,
寶劍  直(あたひ) 千金。
手を分つとき  脱して 相ひ贈る,
平生  一片の心。


侠客である(あなたは長安の游侠の徒の多く住む)五陵に行く(という)、(これはわたしが)宝として大切に秘蔵する剣で、その値は千金になる(が)。
別れに際して、これをはずして(あなたに)贈ろう。 
普段からの(わたしのあなたに対する)心(を表すために)。 

解説
送朱大入秦:朱家の長男が旧秦地である長安に行くのを送別する。 ・送:見送る。送別する。 ・朱大:朱家の長男。「大」は排行で長男の意。 ・入秦:長安に行く。旧秦地である関中に行く。陝西南部に入る。東晉・陶潛の『詠荊軻』に「燕丹善養士,志在報強。招集百夫良,歳暮得荊卿。君子死知己,提劒出燕京。素驥鳴廣陌,慷慨送我行。雄髮指危冠,猛氣衝長纓。飮餞易水上,四座列群英。漸離撃悲筑,宋意唱高聲。蕭蕭哀風逝,淡淡寒波生。商音更流涕,酎t壯士驚。心知去不歸,且有後世名。登車何時顧,飛蓋入秦庭。」 とある。
遊人五陵去:侠客である(あなたは長安の游侠の徒の多く住む)五陵に行く(という) ・遊人:侠客。遊客。職業を持たないで遊んでいる人。 ・五陵:長安の游侠の徒の多く住む所の名。李白の『少年行』「五陵年少金市東,銀鞍白馬度春風。落花踏盡遊何處,笑入胡姫酒肆中。」や、唐・白居易『琵琶行』「沈吟放撥插絃中,整頓衣裳起斂容。自言本是京城女,家在蝦蟆陵下住。十三學得琵琶成,名屬教坊第一部。曲罷曾教善才伏,妝成毎被秋娘妬。五陵少年爭纏頭,一曲紅不知數。鈿頭雲篦撃節碎,血色羅裙翻酒汚。今年歡笑復明年,秋月春風等闢x。弟走從軍阿姨死,暮去朝來顏色故。門前冷落鞍馬稀,老大嫁作商人婦。商人重利輕別離,前月浮梁買茶去。去來江口守空船,遶船明月江水寒。夜深忽夢少年事,夢啼妝涙紅闌干。」  ・去:去る。行く。
寶劍直千金:(これはわたしが)宝として大切に秘蔵する剣で、その値は千金になる(が)。 ・寶劍:宝として大切に秘蔵する剣。 ・直:ねうち。値段。値。 ・千金:大金。漢・魏の蔡文姫『胡笳十八拍』にも「東風應律兮暖氣多,知是漢家天子兮布陽和。羌胡蹈舞兮共謳歌,兩國交歡兮罷兵戈。 忽遇漢使兮稱近詔,遣千金兮贖妾身。喜得生還兮逢聖君,嗟別稚子兮會無因。十有二拍兮哀樂均,去住兩情兮難具陳。」とあり、李白の『襄陽歌』に「落日欲沒山西,倒著接花下迷。襄陽小兒齊拍手,街爭唱白銅。傍人借問笑何事,笑殺山公醉似泥。杓,鸚鵡杯。百年三萬六千日,一日須傾三百杯。遙看漢水鴨頭香C恰似葡萄初醗。此江若變作春酒,壘麹便築糟丘臺。千金駿馬換小妾,笑坐雕鞍歌落梅。車旁側挂一壺酒,鳳笙龍管行相催。咸陽市中歎黄犬,何如月下傾金罍。君不見晉朝羊公一片石,龜頭剥落生莓苔。涙亦不能爲之墮,心亦不能爲之哀。清風朗月不用一錢買,玉山自倒非人推。舒州杓,力士鐺。李白與爾同死生,襄王雲雨今安在,江水東流猿夜聲。」とあり、宋・賀鑄『六州歌頭』に「少年侠氣,交結五キ雄。肝膽洞,毛髮聳。立談中,生死同,一諾千金重。推翹勇,矜豪縱,輕蓋擁,聯飛,斗城東。轟飮酒,春色浮寒甕。吸海垂虹。闌ト鷹嗾犬,白駐E雕弓,狡穴俄空。樂怱怱。」 とあり、李白に『將進酒』「君不見黄河之水天上來,奔流到海不復回。君不見高堂明鏡悲白髮,朝如青絲暮成雪。人生得意須盡歡,莫使金尊空對月。天生我材必有用,千金散盡還復來。烹羊宰牛且爲樂,會須一飮三百杯。岑夫子,丹丘生。將進酒,杯莫停。與君歌一曲,請君爲我傾耳聽。鐘鼓饌玉不足貴,但願長醉不用醒。古來聖賢皆寂寞,惟有飮者留其名。陳王昔時宴平樂,斗酒十千恣歡謔。主人何爲言少錢,徑須沽取對君酌。五花馬,千金裘。呼兒將出換美酒,與爾同銷萬古愁。」 とあり、宋の蘇軾の『春夜』に「春宵一刻値千金,花有C香月有陰。歌管樓臺聲細細,鞦韆院落夜沈沈。」 と使う。
分手脱相贈:別れに際して、これをはずして(あなたに)贈ろう。 ・分手:別れる。関係を絶つ。 ・脱:とる。はずす。 ・相贈:…に贈る。 ・相:…ていく。…てくる。動詞の前に附き、動作が対象に及ぶ表現。
平生一片心:普段からの(わたしのあなたに対する)心(を表すために)。 ・平生:ふだん。平素。平常。 ・一片心:ひとつの心。唐・王昌齡には『芙蓉樓送辛漸』「寒雨連江夜入呉,平明送客楚山孤。洛陽親友如相問,一片冰心在玉壺。」 とあり、王之煥の「黄河遠上白雲間,一片孤城萬仞山。羌笛何須怨楊柳,春風不度玉門關。」があり、李白の『哭晁卿衡』「日本晁卿辭帝都,征帆一片遶蓬壺。明月不歸沈碧海,白雲愁色滿蒼梧。」や、李Uの『蝶戀花』「遙夜亭皋閑信歩。乍過C明,早覺傷春暮。數點雨聲風約住。朦朦淡月雲來去。桃李依依春暗度。誰在秋千,笑裏低低語?一片芳心千萬緒,人間沒個安排處!」 とあり、陸游が『金錯刀行』「黄金錯刀白玉裝,夜穿窗扉出光芒。丈夫五十功未立,提刀獨立顧八荒。京華結交盡奇士,意氣相期共生死。千年史冊恥無名,一片丹心報天子。爾來從軍天漢濱,南山曉雪玉。嗚呼,楚雖三戸能亡秦,豈有堂堂中國空無人。」を作っている。文天祥の『過零丁洋』に「辛苦遭逢起一經,干戈寥落四周星。山河破碎風飄絮,身世浮沈雨打萍。惶恐灘頭説惶恐,零丁洋裏歎零丁。人生自古誰無死,留取丹心照汗。」があり、南宋・文天に『江月』和友驛中言別「乾坤能大,算蛟龍、元不是池中物。風雨牢愁無著處,那更寒蟲四壁。槊題詩,登樓作賦,萬事空中雪。江流如此,方來還有英傑。   堪笑一葉漂零,重來淮水,正涼風新發。鏡裏朱顏都變盡,只有丹心難滅。去去龍沙,江山回首,一綫青如髮。故人應念,杜鵑枝上殘月。」 と使い、我が国では、藤田東湖の『詠古雜詩』「我慕楠夫子,雄略古今無。誓建回天業,感激忘其躯。廟堂遂無算,乾坤忠義孤。空留一片氣,凛凛不可誣」と使う。



孟浩然



210 5. 望洞庭湖贈張丞相    
八月湖水平,涵虚混太C。
氣蒸雲夢澤,波撼岳陽城。
欲濟無舟楫,端居恥聖明。
坐觀垂釣者,徒有羨魚情。

洞庭湖を望み 張丞相に贈る      
八月 湖水 平らかに,
虚きょを涵ひたして  太Cたいせいに混ず。
氣は蒸むす  雲夢うんぼう澤たく,
波は撼ゆるがす  岳陽がくやう城。
濟わたらんと欲するに  舟楫しうしふ無く,
端居して  聖明せいめいに恥づ。
坐して 釣を垂る者を 觀みるに,
徒いたづらに 魚うをを羨うらやむの情 有り。


洞庭湖を望み、その情景の詩を張九齢丞相贈る。
仲秋である旧暦八月の(洞庭湖の)湖水は平らかで、うつろな穴(湖の窪み)を水で涵(ひた)して、大空に混じり合っている。
靄(もや)は、雲夢沢(昔の楚の国にあった大きな湖)に湧き上がってきて、波は、岳陽城に打ち寄せて、揺るがせている。
渡ろうとするが、舟とかじ(天子をたすける臣下:ここでは、仕官するつて)が無く。渡りたいが、つても無く、何事もしないでぼんやりと平生を過ごしているのは、聖明の天子様に恥じいるばかりである。 
坐って釣糸を垂れている者を見ていると、(自分から釣られていく)魚を羨む気持ち(仕官したいと願う気持ち)が無闇に起こってくる。


望洞庭湖贈張丞相:洞庭湖を望み、その情景の詩を張九齢丞相贈る。 *就職活動の屈折した気持ちを詠う。 ・洞庭湖:〔どうていこ;Dong4ting2hu2●○○〕湖南省北東部にある中国最大の淡水湖。湘水(湘江)、?水(?江)などが流れ込んで長江に注ぐ。湖畔や湖中には岳陽楼や君山などがあり、瀟湘八景などの名勝に富む。。唐・杜甫の『登岳陽樓』に「昔聞洞庭水,今上岳陽樓。呉楚東南?,乾坤日夜浮。親朋無一字,老病有孤舟。戎馬關山北,憑軒涕泗流。」 とあり、北宋・張孝祥の『念奴嬌』過洞庭「洞庭青草,近中秋、更無一點風色。玉鑑瓊田三萬頃,著我扁舟一葉。素月分輝,明河共影,表裏倶澄K。悠然心會,妙處難與君説。   應念嶺海經年,孤光自照,肝肺皆冰雪。短髮蕭騷襟袖冷,穩泛滄浪空闊。盡吸西江,細斟北斗,萬象爲賓客。扣舷獨笑,不知今夕何夕。」 ・張丞相:張九齢。或いは、張説。 ・丞相:天子を助けて政治を行う最高の官。宰相。総理大臣。相国。
八月湖水平:仲秋である旧暦八月の(洞庭湖の)湖水は平らかで。 ・八月:旧暦の中秋八月で、今の九月から十月。 ・湖水:ここでは、洞庭湖の湖水。
涵虚混太C:うつろな穴(湖の窪み)を水で涵(ひた)して、大空に混じり合っている。 ・涵虚:〔かんきょ〕澄み切った湖水。大地の窪み(虚(きょ))を涵(ひた)す澄んだ湖水。前出・杜甫の『登岳陽樓』「呉楚東南?,乾坤日夜浮。」 ということ。 ・太C:大空。天空。
氣蒸雲夢澤:靄(もや)は、雲夢沢(昔の楚の国にあった大きな湖)に湧き上がってきて。 ・氣蒸:霞(かすみ)や靄(もや)がわきあがる。 ・雲夢澤:〔うんぼうたく〕春秋・楚の国にあった大きな湖。現・湖北省南部一帯。北限は安陸、南限は長江で、長江を夾んで洞庭湖・岳陽に近く、東は武漢、西は沙市一帯にあった、一辺100キロメートルほどで、洞庭湖の五、六倍ある広い湖沼。『中国歴史地図集』第一冊 原始社会・夏・商・西周・春秋・戦国時期(中国地図出版社)29−30ページ「春秋 楚呉越」参照。(左は、msnの地図だが、この地図は?音(ピンイン=中国語のローマ字綴り)でしか表示されないので念のため、?音(ピンイン)を次に示す:(北:安陸(Anlu)、南:岳陽(Yueyang)、東:武漢(Wuhan)、西は沙市(Shashi))。これで囲まれる内側が雲夢沢。また、長江北岸にあった沢を雲沢、南岸のを夢沢、合わせて雲夢沢ともいう。
波撼岳陽城:波は、岳陽城に打ち寄せて、揺るがせている。 ・撼:〔かん;han4〕動かす。揺るがす。騒がす。 ・岳陽城:〔がくようじょう〕湖南省の北端の洞庭湖の東北に位置し、長江へ連なる水路の口にある岳陽の街。なお、その西門が岳陽楼。賈至の『岳陽樓重宴別王八員外貶長沙』「江路東連千里潮, 青雲北望紫微遙。莫道巴陵湖水闊,長沙南畔更蕭條。」 また、前出・杜甫の『登岳陽樓』に「昔聞洞庭水,今上岳陽樓。呉楚東南?,乾坤日夜浮。親朋無一字,老病有孤舟。戎馬關山北,憑軒涕泗流。」がある。
欲濟無舟楫:渡ろうとするが、舟とかじ(天子をたすける臣下:ここでは、仕官するつて)が無く。渡りたいが、つても無く。 ・欲:…たい。…う。 ・濟:渡る。 ・舟楫:〔しうしふ;zhou1ji2○●〕天子の政治を助ける臣下の喩え。本来の意は、舟と楫(かじ)。ここは、前者の意。
端居恥聖明:何事もしないでぼんやりと平生を過ごしているのは、聖明の天子様に恥じいるばかりである。 ・端居:閑居。ふだん。平生。 ・恥:(自分の悪いところを認めて)はじいる。 ・聖明:天子を呼ぶ尊称。天子の明徳。すぐれた聡明さ。
坐觀垂釣者:坐って釣糸を垂れている者を見ていると。 ・坐觀:(作者が)坐って観察する。 ・垂釣者:釣り針を垂れて、釣りをしている者。ここでは、太公望を謂う。周・文王の賢臣・呂尚のこと。呂尚が渭水の岸で釣りをしていた時、文王が見いだし、「我が太公が待ち望んでいた人物だ」と喜び、太公望と呼んだ。武王を佐(たす)けて殷の紂王を滅ぼし、功によって斉に封じられた。『史記・齊太公世家』に「呂尚蓋嘗窮困,年老矣,以漁釣奸周西伯。西伯將出獵,卜之,曰『所獲非龍非?,非虎非羆;所獲霸王之輔』。於是周西伯獵,果遇太公於渭之陽,與語大説,曰:『自吾先君太公曰『當有聖人適周,周以興』。子真是邪?吾太公望子久矣。』故號之曰『太公望』,載與倶歸,立爲師。」とあり、晩唐・温庭?の『渭上題三首』之三に「煙水何曾息世機,暫時相向亦依依。所嗟白首?谿叟,一下漁舟更不歸。」とある。
徒有羨魚情:(自分から釣られていく)魚を羨む気持ち(仕官したいと願う気持ち)が無闇に起こってくる。 ・徒有:いたずらに起こってくる。むなしく起こってくる。漫然と起こってくる。 ・羨魚情:(釣られていく)魚を羨む気持ち。(何もしないで)仕官していく者を羨ましく思う気持ち。「太公望」については「姜太公釣魚」(自発的に自分で罠にかかる(魚)=姜太公(呂尚)は真っ直ぐな針で魚を釣り、世を避けていた。従って、姜太公の針で釣られるものは自分から好んでかかったものである)ということで、作者も釣られたい(仕官したい)ということを詠う。『漢書・禮樂志』に「古人(『淮南子』)有言:『臨淵羨魚,不如歸而結網。』とある。




209 孟浩然06 過故人莊(故人具鷄黍)

6. 過故人莊    孟浩然
故人具鷄黍,邀我至田家。
克村邊合,青山郭外斜。
開筵面場圃,把酒話桑麻。
待到重陽日,還來就菊花。

古い友人の村へ行く
昔なじみが、鶏(ニワトリ)と黍(きび)の料理を準備して、わたしは迎えてくれている農家についた。
緑の樹々が、村の周辺に繁り合って、青い山々が、城郭外にむかって斜めに連なって見えている。廊下の長い窓を開けて、穀類を乾燥させる庭に面して。酒を酌み交わし、桑や麻のことなどの農事を話題にしている。
待ち遠しい重陽の節(九月九日)、また訪れて、菊花酒を飲みたいものだ。





過故人莊
古い友人の村へ行く
 ・故人:昔からの友人。古いなじみ。 古い友人。 ・莊:村里。いなか。

故人具鷄黍
昔なじみが、鶏(ニワトリ)と黍(きび)の料理のもてなしを準備して。
 ・具:そろえる。支度をする。準備をする。 ・鷄黍:〔けいしょ〕ニワトリを殺し、きび飯をたいてもてなすこと。転じて、人を心からもてなすこと。

邀我至田家
わたしを農家に招いてくれたので行った。
 ・邀:〔えう〕まねく。呼ぶ。迎える。 ・至:行き着く。くる。 ・田家:〔でんか〕いなか家。農家。

克村邊合
緑の樹々が、村の周囲に繁り合わさって。
 ・村邊:村の周り。村はずれ。 ・合:合わさる。いっしょにする。ひとまとめにする。

青山郭外斜
青い山々が、城郭外(市外、郊外)に斜めに(連なって)見えている。
 ・郭外:城郭都市の外側。市外。郊外。

開軒面場圃
窓を開けて、穀類を乾燥させる庭に面して。
 ・軒:(長い廊下の)窓。「開筵」ともする。その場合は「酒宴(の筵)を開く」の意となる。 ・面:面する。向かう。 ・場圃:〔じょうほ〕農家の前の穀物を干す広場。家の前の穀物干し場。

把酒話桑麻
酒をとっては、桑や麻のことなどの農事を話題にしている。
 ・把酒:酒器を持つ。 ・話:話す。 ・桑麻:〔そうま〕桑(くわ)と麻(あさ)。(桑麻を植える所の意で、)田園。

待到重陽日
九月九日の重陽の節を待って。
 ・待到−:…になるのを待って。。 ・重陽:陰暦九月九日。九は陽の数の極みで、九が重なるから重陽という。この日、高い所に登り、家族を思い、菊酒を飲んで厄災を払う習わし。菊の節供。この日、茱萸(しゅゆ;zhu1yu2=かわはじかみ。ちょうせんごしゅゆ(朝鮮呉茱萸)。日本では、ぐみとしている。)の実を頭に挿して邪気を払うという後漢の桓景の故事に基づいた重陽の風習の一。

還來就菊花
また訪れて、菊花を愛で、菊花酒を飲みたいものだ。
 ・還:また。 ・就:つく。近づく。 ・菊花:重陽の日に吉祥を呼ぶとされて、珍重される花。

過故人莊    孟浩然
故人具鷄黍,邀我至田家。
克村邊合,青山郭外斜。
開筵面場圃,把酒話桑麻。
待到重陽日,還來就菊花。

故人の莊に過ぎる      
故人  鷄黍(けいしょ)を 具(そろ)へ,
我を邀(むか)へて 田家(でんか)に 至らしむ。
克  村邊(そんぺん)に 合(がっ)し,
青山  郭外(かくがい)に 斜めなり。
軒(けん)を開きて  場圃(じょうほ)に 面し,
酒を把(とり)て 桑麻(そうま) を 話す。
重陽(ちょうよう)の日を  待ち到り,
還(また)來(きた)りて 菊花(きくか)に就(つ)かん。




209 孟浩然07 宿桐廬江寄廣陵舊遊

宿桐廬江寄廣陵舊遊
        孟浩然
山暝聽猿愁,滄江急夜流。
風鳴兩岸葉,月照一孤舟。
建コ非吾土,維揚憶舊遊。
還將兩行涙,遙寄海西頭。

「桐廬江に宿して 広陵の旧遊に寄す」
山は暗くなってもの悲しい猿の鳴き声を聽く、青々として深い川は急な流れで夜も流れている。
風は、兩岸の木の葉を鳴らして、月は、一人の旅人の孤舟を照らしている。
上述のような悲愴な感じが漂う)建コ(現・浙江省桐廬県の南)は、わたしの故郷・本拠地とするところではなく。
維揚(現・揚州)に昔出かけたときの人(この詩を差し出す相手のこと)のことを思い出している。
なおまた、二筋の涙をもって。 遙かに海西(江蘇省)のほとりのあなたの許(もと)に、この詩文を差しだそう。



桐廬江に宿して 廣陵の舊遊に寄す      
山 暝(くらく)して 猿愁を聽き,
滄江(そうかう) 急ぎて夜に流る。
風は鳴る 兩岸の葉  ,
月は照らす 一孤 舟(しゅう)。
建コ(けんとく)は 吾が土(と)に非ず,
維揚(いよう)は 舊遊を憶ふ。
還(また) 兩行の涙を將(もっ)て,
遙かに 海西(かいせい)の頭(ほとり)に寄す。

(悲愴な感じが漂う)建コ(現・浙江省桐廬県の南)は、わたしの故郷・本拠地とするところではなく、
維揚(現・揚州)に昔出かけたときの人(この詩を差し出す相手のこと)のことを思い出している。


「桐廬江沿いの街に(現・浙江省建コ市に来て)滞在していたが、旧友の居る広陵(現・江蘇省揚州市)を懐かしんで、そちら(揚州)に手紙で詩を送った。」
(浙江省建コ附近の桐廬江一帯は)山は暗くなって猿のもの悲しい鳴き声を聽き、青々として深い川は急な流れで夜も流れている。
風は、兩岸の木の葉を鳴らして、月は、一人の旅人の孤舟を照らしている。
なおまた、二筋の涙をもって、遙かに海西(江蘇省)のほとりのあなたの許(もと)に、この詩文を差しだそう。

解説

宿桐廬江寄廣陵舊遊
桐廬江沿いの現・浙江省建コ市に来て滞在していたが、旧友の居る広陵(現・江蘇省揚州市)を懐かしんで、そちら(揚州)に手紙で詩を送った。 *長安での仕官活動が不調に終わった後、江浙(江淮)を旅したときの作品。 ・宿:宿泊する。泊まる。 ・桐廬江:桐江のこと。銭塘江の中流。現・浙江省桐廬県境。杭州の西南80キロメートルのところ。 ・寄:手紙で詩を贈る。 ・廣陵:現・江蘇省揚州市の旧名。後出の「維揚」「海西頭」の指すところに同じ。 ・舊遊:古い交際。旧交。以前、共に遊んだことのある友だち。また、昔、そこに旅したこと。

山暝聽猿愁:(浙江省建コ附近の桐廬江一帯は)山は暗くなって猿のもの悲しい鳴き声を聽き。 ・暝:〔めい〕暗い。日が暮れる。 ・聽:耳をすまして聞く。聞き耳を立てて聞く。ここは「聞」とするのもあるが、その場合は「聞こえてくる」の意。 ・猿愁:猿のもの悲しい鳴き声。

滄江急夜流:青々として深い川は急な流れで夜も流れている。
 ・滄江:青い川。作者の今居るところの桐廬江を指す。 ・急:急な流れ。 ・夜流:夜にも流れる。

風鳴兩岸葉:風は、兩岸の木の葉を鳴らして。

月照一孤舟:月は、一人の旅人の孤舟を照らしている。 ・孤舟:ただ一つの舟。孤独な(人生の)旅人の形容。

建コ非吾土
上述のような悲愴な感じが漂う)建コ(現・浙江省桐廬県の南)は、わたしの故郷・本拠地とするところではなく。 ・建コ:現・浙江省建コ市。杭州の西南100余キロメートルのところ。前出・桐廬の南南西50キロメートルのところ。 ・非:(…は)…ではない。あらず。「A非B」の「A」「B」は名詞性の語。 ・吾土:わたしの居住するところ。 ・土:居住する。

維揚憶舊遊
維揚(現・揚州)に昔出かけたときの人(この詩を差し出す相手のこと)のことを思い出している。
 ・維揚:古代の揚州の発祥地で、現・江蘇省揚州市区の西部の地名に遺る。詩題中の「廣陵」や詩中の「海西頭」の指すところと実質上同じ。作者がこの詩を送った相手の居場所。「惟揚州」とあるのは「維揚」のことではなく、「惟(これ)、揚州」の意。維揚は、『史記本紀・夏本紀』「淮海維揚州:彭蠡既都,陽鳥所居。」とあるが、ここの「維」も「これ」の意。  ・憶:思い出す。また、思う。覚える。ここは、前者の意。

還將兩行涙
なおまた、二筋の涙をもって。
 ・還:なおまた。 ・將:…をもって。…を。文語の「以」に近い働きをする。 ・兩行涙:(両目からの)二筋の涙。 ・行:〔ぎょう〕すじ。

遙寄海西頭
遙かに海西(江蘇省)のほとりのあなたの許(もと)に、この詩文を差しだそう。
 ・遙寄:遥か遠くに手紙で詩を送る。 ・寄:手紙で(詩を)送る。 ・海西頭:現・江蘇省揚州市一帯。詩題中の「廣陵」や、詩中の「維揚」の指すところに同じ。作者がこの詩を送った相手の居場所。



唐・岑參の『西過渭州見渭水思秦川』
渭水東流去,何時到雍州。
憑添兩行涙,寄向故園流。




210 8. 送友入京(君登青雲去)
卷160_163 「送友人之京」孟浩然
君登青雲去,予望青山歸。雲山從此別,?濕薜蘿衣。








210 9. 歳暮帰南山(北闕休上書)

卷160_87

「?暮歸南山(一題作歸故園作,一作歸終南山)」孟浩然
北闕休上書,南山歸敝廬。不才明主棄,多病故人疏。
白髮催年老,青陽逼?除。永懷愁不寐,松月夜窗?。


歳暮帰南山 孟浩然
年の暮れに南山へ帰る   孟浩然
宮殿北側の北闕門では、勉強をしなくても良い。
やはり南山の古い庵へ戻ろう。
才能がなく、明主には既に見捨てられ、病気がちで
旧友とも疎遠になってしまった。
まばらな白髪は老いを急き立てるようだ。
春が来たばかりだというのに、もう年の暮れが告げられた。
物思いに耽って眠ることが出来ず、窓の外の松の木に射す月の光がさらに空虚さを増す。








210 10「夏日辮玉法師茅齋」
夏日茅齋裏
無風愚策涼
竹林新笑概
籐架引梢長
篶覚巣案庭
蜂濫造蜜器
物鴻儒可翫
花蕊四時芳
夏日 茅齋の裏
風無けれども坐すれば亦た涼し
竹林新第概く
籐架 梢を引きて長し
鷲は巣案の庭を覚め
蜂は蜜を造る房に來たる
物華 皆翫ぶべし
花蕊 四時芳し

「物華 皆翫ぶべし」という句に現われた孟浩然の「自然への愛」は、頸聯に描写された燕や蜂のように「自然がその活動状態にあるときにむけられた」ものであるとする。さらに、頷聯の竹や藤の描写も、「新」「概い」「引く」という語によって、じっとしているものに活動的な気分が与えられていると分析し、「自然への愛」が「活動しない自然に対しても、ある場合には、動きをあたえてやつ」ていると指摘する。







210 11「宿建徳江」
移舟泊姻渚  
日暮客愁新  
野暖天低樹  
江清月近人  
舟を移して姻渚に泊まる
日暮 客愁新たなりた
野暖くして 天 樹に低(た)れ
江清くして 月 人に近し

まず、転句・結句について、孟浩然が「動きのないはずの「天」「月」を「樹」「人」のほうにひきよせて動かしている。」と読んだ上で、小川氏の読みにしたがい「人」を作者自身であるとし、孟浩然は「自然に対し、より主体的にかかわろうとしている。彼自身が自然の一部になろうとしている。」と指摘する。ところで、この作品に関することであるが、鈴木修次氏は、孟浩然が宋の謝霊運に学ぶところがあり、その詩的感覚が同質の傾向を持つと指摘する中で、その例として、右の孟詩の転句・結句と、次に掲げる謝霊運の「初去郡詩」(『宋詩』巻三)中の二句とを対比している。
野暖沙岸浄   野暖くして 沙岸浄く
天高秋月明   天高くして 秋月明らかなり
いまこの二例を比べたとき、鈴木氏の指摘は妥当であると言えよう。ただ、鈴木氏は言及していないが、この対比によって、小川氏・深沢氏の指摘する孟浩然詩の特徴がいっそう明らかになったとも言えるのである。すなわち、孟詩の「天」「月」に対して、謝詩の「沙岸」は清いままで動きがなく、また「秋月」は天空に懸かったまま静止しているということである。いまこの比較によるとき、孟浩然と謝霊運とは、自然描写における詩的感覚が同様であるとしても、描写された自然が動いているか静止しているかという点で、大きな違いがあると考えられる。





210 12「悪顔銭塘登二選 『望潮』 作」(
百里雷聲震
鳴絃暫輟弾
府中連騎出
江上待潮観
照日秋雲?
浮天渤?寛
驚濤來似雪
一坐凛生寒

百里 雷聲震い
鳴絃 暫し弾くを輟(や)む
府中 騎を連ねて出で
江上 潮を待ちて観る
日に照らされて 秋雲?かに
天を浮かべて 渤?寛(ひろ)し
驚濤 來たること雪の似(ごと)し
一坐 凛として寒を生ず

詩題の「望潮」の「潮」は、有名な銭塘潮で、陰暦の八月十五日すぎにおこる銭塘江の逆流現象であり、この地の風物詩であった。平穏な秋空の下、それとは対照的な銭塘潮が、正に怒濤となって押し寄せる様子と、それを見て圧倒される人々の緊張やざわつきが臨場感をともなって伝わってこよう。この短時間の出来事が、賀新居氏の指摘を借りれば、モンタージュ的に集約されて描写されていると言える。しかも、その一画面一画面が動的な描写であり、したがって作品全体も活動感に満ちたものとなっていよう。ただ頸聯は、遠く広がりをもつ風景であり、活動感は感じられないけれども、それがかえって効果的に、背景として、銭塘潮のダイナミズムを際立たせていると考えられる。





210 13「下層石」
?石三百里
沿千嶂間
沸聲常活活
?勢亦潺潺
跳沫魚龍沸
垂藤猿?攀
榜人苦奔峭
而我忘険艱
放溜情彌遠
登艫目自閑
瞑帆何処泊
遥指落星湾

?石 三百里
沿す千嶂の間
沸聲 常に活活たり
?勢 亦た潺潺たり
跳沫 魚龍沸き
垂藤 猿?攀ず
榜人 奔峭に苦しみ
而るに我は険艱を忘る
放溜情彌いよ遠く
登艦 目明ら閑なり
瞑帆 何処にか泊する
遥かに指す 落星湾

詩題の「?石」は、現在の江西省?水のうち、?県から万安県に至るまでの十八灘のこと。難所として知られていた。はじめの四句は、両岸の崖がせまり急カーブが続く川が、激しい音をたてて勢いよく流れる様が、「沸」「活活」「?」「潺潺」という、さんずい偏の動作性の高い語によって効果的に描かれている。次の二句、川の魚も水しぶきを揚げて跳ね上がり、岸では藤のつるに猿がよじのぼるという描写も、勢いのあるものである。次の句、船頭も崖が崩れ落ちそうな岸に悪戦苦闘している。以上、たいへん活動性に富んだ描写であると言える。またここに、前掲評言氏の指摘である、「時空の移動」する「紀行詩」的特徴を確認することができよう。加えて、注意すべきなのは、以下の描写で、詩人がこのような急流に困難を感じず、まさにその流れと一体化しているかの如きことである。ここに、前節に掲げた深沢氏の「(詩人が)自然の一部になろうとしている」という指摘と通ずるものを見出してもよいであろう。また以上の二首は、先の劉氏の指摘にある、変化に富んだ河川の描写に相当しよう。